― 3 ― 「さぞかし、三蔵は怒っていたでしょう? 済みませんね、八つ当たりなどされませんでしたか?」 「いいえ、帰り際に『なんで判ってる事をわざわざ……』とはぶつぶつ言ってましたけど。 破壊活動には出ませんでしたよ、丸くなられましたね」 いつの事を言っているのか、八戒には判らない。 ただ、それでも判る事は幾つかある。 「斉天大聖を、いえ。悟空が心を許すだけの存在ではありますが……」 「大丈夫ですよ」 は、決して腕力も脚力も多くありはしないだろう。ようするに、武力に関しては普通の女性と大差ない程度でしかないけれど。 その瞳が、その言葉が、生きている地上の存在として、深さと重さを伝えるの存在そのものが、最大の武器なのかも知れない。 確証などが、例え何一つないとしても気にしていないのだろう。 母になりそこねた女、大人になりきれなかった少女。 けれど、確実に時間の中を生きてきた事だけが確かなもの。 「そりゃあ、悟空は中身がどうしてもお子様ですし。三蔵も自分勝手なところもありますし、悟浄なんて見かけと中身がかみ合っていませんし、僕だって……」 言葉をつむぐのは、確かに苦痛だ。 それが八戒自身が常に持つ、苦痛の象徴であるならば。 「僕だって……」 「お願いしますね、八戒さん」 誰かが言っていた、男には決して勝てない存在があると。 世界には、誰も勝てない存在がある。どうしても、それにだけは勝てなくて勝ちたくて。 だけど、大好きになれる存在。 「悟空のこと」 初めて、はにっこりと微笑んだ。 その名が現すような、花のような笑顔。 「まあ、フォローくらいでしたら……何しろ。飼い主はちゃんと存在しているんですから、余計な事をしたら怒られてしまいますよ」 「そうですね」 いつか、言っていた。 この世にどうしても勝てない存在があって、だけどその存在の事は大好きになる事が出来る。 その名を「母」と言う。 「誰にでも、欠点くらいはありますもの。 さて、これくらいで。森の中を探索した程度の労力分のお話にはなりましたかしら?」 欠点だらけの自分達でも、欠点だらけの世界でも。 笑顔で迎えてくれる人がある限り、知らない誰かでも笑ってくれると言うのならば。 「……意外にずるいですね、もしかしてずっと見ていたんですか?」 「心外ですね、私は日常の仕事を終えてから迎え入れただけですし。 第一、 何一つ事前の連絡もなく現れたのは。八戒さんの方が先ではありませんか?」 「こんな結界の中に、どうやったら連絡など入れられるんですか? 僕は悟空でも三蔵でもないんですから、無茶を言わないで下さい」 言いながら、笑っている八戒自身と。 済ました顔でお茶会の終りを告げると、いつのまにか傾きかけた太陽と。 「あなたの知らない八戒さんの事も、私は少しだけ知っています。 でも、そんなものは今の八戒さんには。何の意味もないんです」 「……もちろんですよ、そんなの」 不安だったのだろうか? 自分は。 誰にも何も言わずに、確かめに来るほどに? 一日潰した甲斐があったのかと問われたら、正直。判らないけれど。 「さん、『さようなら』と言うのは早いんでしょうか? もしかして?」 今の話ではなく、長い長い人生と言うお話の意味であると。 仕掛けた言葉遊びを、は40代だと名乗る顔で受け止める。 「ご存知かしら? 『さようなら』と言う言葉は、別の国では「再び会う為の遠い約束」なのですって」 「ほう、では賭けますか?」 内心はどうあれ、も八戒も余裕しゃくしゃくと言う顔だ。 もし、第三者があれば寒気を覚えたあまり上着の一つでも求めるかも知れないが。幸か不幸か他には誰もいない、暖かで柔らかな日差しと、穏やかな風があるだけだ。 「一番最初に生まれた賭けの対象は、握手だったと言います。 もし、再びここで会う事が出来たならば。私から握手をしましょう、だけどここ以外の場所で会う事があったならば、八戒さんから握手をしていただけますか?」 から差し出された手、指は大して長くなく。体型と同じくぽっちゃりした、柔らかな手。 大きな傷などはないけれど、少し荒れた感じがするのは家の仕事をしているからだろうか? 生活感に溢れた手でありながら、偏見からたおやかに見えてしまう。 「喜んで」 返した手を、がどう思うか八戒にはわからない。 そして、八戒が思った事をがどう思うかも八戒にはわからない。 ただ、は再会の約束をした。いつになるかは判らないが、それは決して破られる事はないだろう。悟空がらみかも知れないし、また厄介な事になるかも知れないが……。 「いつもの事ですしね」 「……は?」 とにかく、今回の八戒の戦利品が。 から「きょとん」とした顔を引き出した事だろうと考えたのは、八戒だけの秘密である。 |