「……それに、あの人と『共に行く』のは悟空の役目でしょ。私じゃあまりに役者不足だわ」 がふと視線を外し、不意に空を振り仰いだ。 それに釣られるかのように、八戒も同じく天を見上げると――雲一つない空の青が、やけに眩しくて胸に突き刺さる。 街の狭間から見えるその色は、普段と対して違いはない筈なのに。 ――これは貴女のせいですか、? 地上へと八戒が視線を戻すと、まだ空を見つめるの横顔が目に入った。吹き抜ける風がその髪をかき散らしているが、彼女はそれには特に構わずに、相変わらず無言で紫煙を燻らせている。 そんなのその様を、ただただじっと見つめながら、八戒は思惟を巡らせる。 『解らない』 共に旅をするようになって、共に幾度も死地をくぐり抜けて。悟浄や悟空や三蔵と同じ親しみを、少しずつ積み重ねてはいたが――八戒は未だに、という女性が完全には掴めずにいた。何が、と誰かに問われても、はっきりとは答えられないのだが。 それと同様に。そんな女性を傍に置く三蔵の本音も、やはりはっきりとは判らない。 そう。 三蔵が生死の境をさ迷っていた間、は自身の怪我にも構わずに、ずっと傍に付き添っていた。 かと思えば。三蔵が「経文を取り戻す」と暴れた時には、は冷たく「勝手にしなさい」と吐き捨てていた。 救いの手を差し伸べるでもなく、かといって完全に見放すでもなく。誰を否定することもなく肯定もせずに、はいつでもそこに在り続けている。 自身をも含めた一切から、常に一定の距離を取ろうとするかのように。皆と一緒に笑っていても、『傍観者』の眼差しを保ったままで。 そう云えば。は時折、「悟空には敵わない」と口にする。 羨望じみた趣も、嫉妬めいた色合いも含ませずに。ただ眩しそうに目を細ながら。 そんな彼女を、三蔵は特に何も言わず、ずっと傍に置き続けている。 一旦は本気で怒りを向け、銃口を突き付けていたにも関わらず。今でも。 そんなでたらめで曖昧な関係は、本気で理解に苦しむ処ではあるけれど――よくよく考えてみれば、それは自分たちにも当て嵌まるのではないか? 悟浄も、悟空も、そして自分自身も。悪ふざけや下らない台詞は幾らでも言うが、本心は十分の一も口にしない。常に関わり合ってはいても、決して互いに干渉はしない。 それぞれに抱える迷いや痛みは有れど、それらを総て自身の胸一つに収めて。敢えて明日を笑い飛ばし、時に醜態を晒しながら、それでも「今」を生きている。 果てしなく澄んだこんな空の青に、時に無性に焦がれたりしながら。 「私は、『私』でしかないのよね。どう足掻いても」 ぽつり。微笑み混じりに呟いたに、八戒は返す言葉が見付からない。 不思議な沈黙を嘲笑 (わら) うかのように、再び風が吹き抜ける。 と、その時、 「――ンなとこで何無駄話してやがる、お前らは」 いつも通りに無愛想な声が、二人の間に割り込んだ。 そして。声の主は――三蔵はすれ違いざまに八戒の顔だけをちらりと見て、さっさとジープの方へと足を向ける。傍に立っていたには、一瞥もくれないままで。 そんな三蔵のその様に、八戒が呆気に取られていると。そこに、喜喜と跳ね回りながら悟空が姿を現した。 「なあなあっ、早く行こうぜ、八戒、っ。今度こそ、ぜってーあいつに勝つんだからなっ」 「勿論よ」 そんな悟空に微笑んで、もまた歩き出す。八戒の脇をすり抜けて、三蔵の背中を追うように。 背後で笑い合う悟空との賑やかさに、三蔵が「煩せぇぞ、このバカ共が」とぼやいたのが、かすかに八戒の耳に聞こえた。 と同時に。三人の姿を見つめる八戒を、奇妙な既視感が一瞬襲う。 ――あれ? こんな光景、確か以前にも―― 「――ほれほれ。早く行かねぇと、三蔵サマがまたお怒りになるぜぇ?」 そんな八戒の背中を、ぽん、と叩く手があった。 振り向く間もなく、銜え煙草を燻らせる悟浄が、ぐいっと八戒の肩に腕を回す。 「三蔵サマ、今日はいつになく殺 (や) る気マンマンだからよ。出遅れっと後が恐いぜぇ?」 「……ええ、どうやら、そのようですね」 にぃっと笑う悟浄に追従して、八戒が同意の笑みを浮かべる。 二人の向ける視線の先に在るのは、既にジープに乗り込んだ三蔵と悟空との姿。それぞれに座席の定位置に収まって、出発の時を待っている。 普段と変わらぬその表情の下に、三者三様の強い意志を収めて。 「では、行きましょうか。不良児童を懲らしめに」 「おうよ」 浮かべた笑みはそのままで、二人もそれぞれの指定席に乗り込んだ。八戒は運転席に、悟浄は後部座席の左端に。 目指す場所は、あの「お城」。目的は、「カミサマ」を皆でフクロ叩きにすること。 誰もわざわざ口にはしないけれど、きっと抱える想いは一つだろう。 『今度は、負けない』 そんな物騒な道行きで、自分が車のハンドルを握っているのは――ある意味では、皮肉かも知れないけれど。 ――花喃、それでも僕は、先に進み続けているよ―― 八戒がアクセルを踏み込むと、ジープは勢い良く走り出す。もうもうと砂埃を上げて、ひたすらに目的地へと向かって。 解らないこと、迷うことは未だに多々在れど、行くべき場所が在るのだから。今はただ、その地を目指して進むのみだ。 この戦いが終わった時には、誰一人無傷ではいられないだろうと。心の何処かで覚悟を決めながら。 遥か彼方まで広がる空の下を、彼らは地を沿うように進む。 他の誰のためでもなく、自分自身の心のままに。自分が自分で在るために。 |