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翌朝、が階下の食堂に降りると、店内にはやけに陰鬱な空気が漂っていた。

「――だろうけど、なんだって許の若旦那が――」
「いやいや、ああいう人ほど、裏ではどうだか――」

切れ切れに聞こえる噂話は、どうやら愉快な物ではないらしい。
店はピーク時を少し過ぎてはいたが、それでもテーブル席の九割程が埋まっている。めいめいに粥や麺を食し、あるいは食後の茶を喫する者たちの殆どが働き盛りの男衆だ。これから仕事に向かうのだろう、傍らに商売道具や鞄を置いている姿が目に付いた。
如何にも小さな街らしく、顔見知りの客同士が相席したり、通路を挟んで雑談しているようであるが、その誰もが揃って不安げな、暗い表情を浮かべている。交わされる会話もひそひそ声ばかりで、内容まではよく聞き取れないが、あまり良い話ではなさそうだ。
そんな中で、一際明るく振る舞っていたのがこの店の従業員たちであるが、彼らの元気なオーダー取りの声も、顔に貼り付けた営業用スマイルも、店全体の重苦しい空気を払拭するまでには至っておらず、寧ろその明るさが不自然にすら見えていた。
一日の始まりを迎えるには、あまりに居心地の悪い悲壮感。
その原因が掴みたくて、は手近なテーブル席につき、店員に朝粥のセットと茶を注文すると、隣の客に話を聞いてみた。

「今朝早くに、街外れの川原でまた死体が見つかったんだよ。
 これで何人目になるだろうねぇ。もううんざりだ」

白髪混じりな初老の男性客は、食後の茶をちびちび飲みながら、沈鬱な顔をしてそう言った。
その向かい側に座る髭面の中年男性も、そうだそうだと言わんばかりに、首を大きく縦に振る。

「食事時にこんなこと話すのも何だが……腕や足なんか、食い千切られたようにもぎ取られててね。辺り一面も血の海で、最初に見つけた奴は卒倒寸前だったらしいよ。
 後で通報を受けて現場に行った役人も、あまりのむごさに顔をしかめてたそうだ」
「…………」
「知らん奴は好き勝手言ってるようだが、許の若旦那――ああ、今回殺されてた人のことだがね――は、真面目で人当たりも良くて、本当に良い人だったんだ。誰かに恨みを買うような人じゃない。
 奥さんも可哀想に。子供もまだ小さいってのに――」
「――ちょっとさん、あんた、何話してるんだい?」

ふと、その時。とつとつと語る相手の話を、横から割り込んだ声が中断させた。
見ると、宿の主人が至極不機嫌そうな顔をして、とその初老の男性の席の間の通路に立っている。ほかほかと湯気の立つ丼や茶器を盆に載せて持ちつつ、を睨みつけていた。
ただならぬその雰囲気に、客が茶器を受け取りながら「おいおい大将、一体どうしたんだよ?」と尋ねるが、それにもまともに答えない。
横槍を入れられ、黙ってしまったその初老の男性客に「こんな余所者なんか放っておけよ」と苦言を呈しつつ、主人は刺々しく言葉を連ねる。

「あんた確か、この事件には興味無かったんでないのかい?
 夕べ、自分で言ってたじゃないか。“気が萎える”ってねぇ」
「それは、親爺さんがあんな遅い時間に部屋に来るからでしょ。もっと早い時間だったら、ちゃんと話は聞いてたわよ」
「ふん、どうだかね」

どん、と、粥の椀と小鉢をの前に置きながら、主人は忌々しげに吐き捨てた。
客商売の癖に、接客態度がなってない。は心の中で、密かにそう毒づく。
「いい歳して髪も結わないあばずれが……」ぶつぶつとこぼしながら、厨房に引き上げていく主人の背中を見届けつつ、男たちは苦笑してこう言った。

「気分悪いかも知れんけどな、姉さん。あんまり怒らないでやってくれよ。
 こないだから客の何人かが殺られちまって、損続きらしいんだよ。元々、商売熱心な奴だしねぇ」
「その人たちも、こんな事件で?」
「ああ。最近は人が変わっちまったようだが、どんな客でも家族のように思って大事に受け入れていたんだ。遊び方が酷い客には、敢えてきつい事言って注意してたんだが、大抵聞き入れて貰えなくて、数日後には死体発見、だ。
 自分が出来る事が何もない、って、それはそれは悔しがってたんだよ」
「そう……」

出された白粥を口に運びながら、が僅かに俯いた。
自身が何も出来ない時の虚しさは、悔しさは、にも多少は判る。肉親を無くしたあの時以来、一体何度そんな思いを味わってきたことだろう。加えて長く旅を続けていれば、様々な人にも様々な事件にも出遭う。
もう一口白粥を口に含んでみれば、素朴な味わいが優しく広がった。

「悔しくて悔しくてたまらないのは、あの親爺だけじゃない。
 身内や知り合いを殺されて気落ちしてる奴が、この街にはどれだけ居るか……」

ずずず、と茶を啜りながら、初老の男はふと遠い目をした。
が、すぐに元通りの表情に戻って、

「なぁ光亮。若い連中のことだったら、お前の方が良く知ってるんじゃないのか?」

男は、別の席で食事を摂っていた青年に声を掛けた。
とは反対隣に座る彼は、目の前に並んだ汁そばと炒飯をがつがつと食するのに夢中で、自分が話し掛けられた事にも気付いていない。「おい光亮、聞いてるのか?」呆れた髭面の男に肩を叩かれて、彼はようやく顔をこちらに向けた。

「ん、何か用?」
「何か用、じゃねぇよ。ったく、自分に声掛けられたことくらい気付けって」

短く刈った黒髪に、うっすら日焼けした快活そうな顔。目鼻立ちはそこそこ整っており、今は質素なシャツとジーンズに身を包んでいるが、着飾ればそれなりにもてそうな好青年であった。
男衆の座るテーブルを挟んで、唇の端に薬味ネギの輪切りをくっつけながら、彼はしげしげとの顔を見る。
失礼な、とが眉を顰めるのとほぼ同時に、彼はにっと笑みを浮かべて、

「よぉ、また会ったな。何だあんた、ここに泊まってたのか」

馴れ馴れしく話し掛ける青年――光亮に、はまるで覚えがなかった。
この男、一体いつどこで会っていただろう。が首を捻っていると、光亮は「おいおい、随分冷たいんだなぁ」と苦笑しながら、汁そばの丼と炒飯の皿を手に、のテーブルへと移動してきた。

「ほら、夕べ、そこの酒場で会っただろ?
 あんたはカウンターで一人で飲んでて、そこに俺が連れと一緒に声掛けて――」
「夕べ?」
「ああ。昨日は思いっ切り振られちまったけど、またこうして会えたんだから。
 俺、ツイてるかも?」
「…………」

言われてもやはり、あまりはっきりとは思い出せない。昨日追い払ったのは、彼らだけでは無かったのだから。
仕事絡みならともかく、盛り場で絡む相手の顔など、悪いがいちいち覚えていられない。
「何だお前、この姉さんと知り合いだったのか?」驚く男たちに向かい、まぁな、と彼は笑って返しながら、せっせと食べ物を口に運んでいる。時々、ちらりと色目を使ってくるのが煩わしい。
相席を許した覚えは無い、と、が抗議の声を上げようとしたその時、

「そういやさ、旅の人たちにはあんま知らされてないみたいだけど……この事件、こっそり賞金かけられてんだぜ」

如何にも意味ありげに笑う光亮の言葉に、は文句の言葉を呑み込んだ。
すると。彼は更に笑みを深くして、

「ま、所詮はお役所仕事だかんな。首尾よく犯人捕まえても大した額じゃないし、目撃情報なんか子供の駄賃程度だ。
 だけどな、個人で報奨金かけてる金持ち連中も、結構居たりするんだぜ」
「……個人で、ねぇ……」
「そ。でさぁ、姉さんさえその気なら、そいつらの事とか色々教えてやってもいいぜ。
 あ、勿論変な意味じゃなくてさ。俺と一緒に組んでくれたら、って話だけど」
「…………」

如何にも、な笑顔ではあったが、何故かこの光亮という男からは、嫌な印象は受けなかった。
例えるなら、悪ガキが企み事をする時の表情、といった所だろうか。口の端や顎の辺りに、輪切りのネギに加えて米粒まで付けているのが、ますますこの青年を子供っぽく見せていた。
勿論、人を見かけだけで安易に判断するのは良くない。良くないが――

「――貴方、自分の腕に自信は?」
「おうよ。昨日は酔っ払ってたし油断してたけど、この辺じゃちょっとは名も知られてるんだぜ。
 あんた一人を守るくらい、どうってこと――」
「それはいいから。要は、私の足手まといにならないかどうか、ってのが大事なのよ」
「……冷たいねぇ。ま、大丈夫だと思うけど」

素っ気無いの態度に、光亮は笑みを苦笑いに変えながら、自身の朝食を平らげた。
「お前、家業の手伝いはどうする気だ?」呆れ半分、心配半分で問う男たちに、いーのいーの、とひらひら手を振りながら席を立つ。
そして、

「じゃ、契約成立ってことで。ちょっと取って来るモンがあるから、ここで待っててくれよ」
「…………」

何を持って来る気だろう。懸念するの気も知らず、彼はさっさと店を出て行った。
こうして話をしていた間にも、他の客たちはそれぞれに食事を終えたらしく、店内には空席が目立つようになっていた。最初にと話をしていた男衆も、壁の時計が差す時刻に気が付くと、慌てて残りの飯をかき込み、ばたばたと席を立って行く。
「あいつ、見かけはああだけど悪い奴じゃないから」去り際に言われたその言葉に、は微笑みだけを返し、彼らの後姿を見送った。
閑散となった店内で、ふう、と小さくため息を吐きながら。は些か冷めてしまった白粥を口に運びつつ、暫し思考を巡らせる。

役人たちから情報を引き出すのは、まあまず無理な事だろう。彼らには職務上の守秘義務があるし、何処の街でも大概役人は余所者に冷たい。
対して“個人で報奨金を出す”連中は、捜査のため、と言えば何か聞けるかも知れない。やはり最初は警戒されるかも知れないが、あの光亮という地元の青年を間に挟めば、多少は対応も違ってくるだろう。
わざわざ賞金を出すということは、それだけ早い事件の解決を願っている筈だ。この宿の主人のように、事件を無視できない職業立場の者たちか、それとも身内の誰かを殺された者か。
が、しかし。最初の事件から日が経っているにも関わらず、事件が未解決ということは――

「……いろいろ面倒な事になりそうね……」
「おや、何をそんなに悩んでらっしゃるんです? こんな朝早くから」

一人ごちたに、不意に誰かが声を掛けた。
はっと見ると、昨夜のあの得体の知れない易者――清一色が、向かいの席で茶を喫している。一体いつからそこに居たのか、話し掛けられるまで全く気付かなかった。
「わざわざ相席しなくても、空いてる席はいっぱいあるでしょ」が嫌そうに顔をしかめるが、清一色は一向に構うことなく、

「運良くお仕事にありつけたようで、本当に良かったですねぇ。我からもお祝いしますよ」
「……要らないわよ」
「おやおや、つれないですねぇ」









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