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「さて、と」 少し寄り道した後で宿に戻り、ベッドの上に腰かけ一服した所で。は、川原で拾ったあの紙片を再び広げてみた。 白いシーツの上にそっと紙片を置き、腕組みして考えること暫し。頭の中で、様々な物が浮かんでは消えてゆく。 役所の職員が好意で見せてくれた、被害者たちの顔写真と略歴。 街のあちこちで耳にした、被害者や事件に関する噂話の数々。 今朝の事件現場となった川原の景色。 突然現われて消えた怪物と、その出現場所に佇んでいたあの女性。 ここに戻って来る前に会ってきた、今朝の被害者の遺族――よっぽど裕福な家らしく、やはり私的に懸賞金を打ち出そうとしていた――の、怒りと涙にまみれた顔。 そして。今、自分の手元にあるこの紙片。 全ての事項を強引に重ね、足りない部分を想像で補えば、おぼろげながらも一本の筋道が出来てくる。 だが。 ―― 何かこう、釈然としないのよね。 もしこれが推理小説なら、三流以下のシナリオだ。物事が、あまりに都合良く揃い過ぎている。 勿論、中には無関係な事も混じっているかも知れないし、自分の推測だって当たっているかどうか判らない。幾ら早期解決を目指していても、偏った先入観に囚われてしまっては、却って真実が掴み難くなるだろう。 まるで、誰かの掌の上で踊らされている気分だ。そんな風にも思いながら、はふと問題の紙片から視線を外し、煙草へと手を伸ばした。 火を点けて、一度軽くふかしたところへ、こんこん、と誰かが扉をノックした。 「……誰?」 一旦煙草の火を消し、扉の脇に張り付いて、向こう側へと問い掛ける。当然、扉は閉めたままだ。 数瞬の間を置いて。廊下から、遠慮がちな声が返ってきた。 「あ、俺。光亮だけど。……あの、昼間のことでさぁ……」 いやに歯切れの悪い物言いに、は思わず嘆息した。仕方なく扉を少し開けてやると、辛気臭い顔が現われる。 話がしたいから中に入れて欲しい。光亮はそう言い出したが、は即答で断り、階下の食堂に降りる事を提案した。 「何で駄目なんだよ?」 「女の一人部屋は、男が気軽に入って良い場所じゃないでしょ」 不服そうな光亮を、が無碍にそう切り捨てる。 その返答に、彼は少々複雑そうな顔はしたが、特に異議は申し立てなかった。 そろそろ夕食時を過ぎていたが、それでも階下の食堂は、朝以上に混雑していた。 ここは居酒屋も兼ねているらしく、宿泊客たちの食事風景とほぼ同比率で、仕事帰りらしき街の男衆の赤ら顔も目につく。がやがやと喧騒に満ち溢れる店内は、酒のもたらす酩酊のお陰か、朝食時のような悲壮感はあまり無かった。 少し耳を傾けてみれば、様々な噂話も聞こえてくる。その殆どは案の定、今日の分を含めたあの一連の事件絡みであったが、時折他の土地での話も飛び交っていた。 何処の街で妖怪が暴れ出したとか、あるいは住人全員が殺されたとか。例の事件と拘りない所でも、気の滅入るような話ばかりである。 それらを軽く聞き流しながら、二人は適当なテーブルに席を占めた。寄って来た従業員に向かい、が食事を、光亮がビールと点心を二、三注文する。 従業員がオーダーを取り終え、厨房へ下がって行ったのを見計らって、はおもむろに口を開いた。 「で? 話って何なの?」 「あ、いや、だから……昼間の、あの件で。あれはさぁ……」 場所を変えても、やはり光亮の言葉は歯切れが悪い。 表情にも次第に焦りの色が浮かぶが、どうも言葉が巧く形に出来ぬようで、ただただ口篭もるばかりである。もしかしたら、何を言いたいのか自分でも掴めていないのかも知れない。 やれやれ、とばかりには軽く肩を竦め、一服しようと上着の袖口に手を差し入れ――煙草を部屋に忘れてきたという事実に気付き、僅かに眉を寄せた。 喋り声や笑い声が溢れる店内の片隅で。と光亮の間に、居心地の悪い沈黙が横たわる。 このまま睨めっこしているのも何だから、と、は再び、他の客たちの喋り声に耳を傾けてみた。 ジョッキやグラス片手に交わされる話題は、実に様々である。商売上のトラブルや笑い話。女房の愚痴。子供や孫の自慢話。どこぞの妓館で人気だという美女の評判。etc。 世は混乱の真っ只中だとは云うが、なかなかどうして、視野を日常生活に限定してみれば、まだまだ愉快な話も沢山ある。例の一連の事件や、桃源郷全体で起こったかの『異変』に日々怯えながら、それでもこうして生きて笑っているのだから、人間とは案外逞しい。 更に聞いていると、日常雑多な話に混じって、別の土地から流れてきた噂も耳に入ってくる。 例えば、東から現われた四人組の妖怪が、凶暴化した他の妖怪たちと同士討ちを繰り広げながら、西に向かって車で移動しているとか。または、何処かの高僧が少人数の従者を連れて、人助けをしながら各地を巡礼しているだとか。真偽の程もはっきりしない、眉唾物の話ばかりである。 そんな中に、些か聞き覚えのある人物の名も混じっていた。が、同席する光亮の手前、は無反応を決め込む。 何となく気が落ち着かないのは、多分手元に煙草が無いせいだろう。だからジョッキや点心を運んできた従業員にも、煙草は売ってないか、と訊いてみた。 帳場に置いてあるのですぐ持って来る。営業用スマイルで返された答えが、無性に有り難く思えた。 「――おや、喧嘩ですか。それはいけませんねぇ」 唐突に割り込んだ甲高い声が、の意識を現実に引き戻した。 はっと見ると、同じテーブルの空いた席に、あの占い師――清一色の姿が在る。一体いつの間に来たのか、油断も隙も無い。 何故、同席を許したのか。が、半ば咎め立てるように目線で光亮に問い掛ける。が、光亮は、知らない、と言いたげにぶんぶんと首を横に振った。 「お二人とも、まだ出会われて間もないでしょうに。 いけませんよ。互いにもっと、相手を理解しようと努力しないと」 清一色は、と光亮の無言の会話も何処吹く風といった様相で、にこにこと穏やかに笑っている。 手を前で組んで服の袖で覆い隠し、口元には数本の点棒を咥えている。昨夜会った時と、全く同じだ。 テーブルの上に並べたグラスが一つ増えているのは、その分、この男が自分で持ってきたということか。無遠慮にも程がある。 「何しに来たのよ?」今朝同様、が刺々しい言葉を投げ付ける。が、清一色はそれには応えず、光亮の方だけを向いて、 「貴方も、少し誠実さが足りませんよ。この方とは、単なる遊びではないんでしょう? 目の前で他の女性と仲良くしたりしたら、どんなご婦人でも怒るに決まっています。貴方も、それはお分かりでしょう?」 「あ、はぁ、まぁ……」 「それにこの方、こう見えて案外純情一途なお人ですから。貴方の仕打ちにも、本当はどれだけ傷付かれたか――」 「――ちょっと清一色、貴方、何調子付いて嘘八百並べてるのよっ!」 ばんっ! 激昂したが、両手で思い切りテーブルを叩いた。その声に、その音に、他の客が一斉に振り返る。 刺さる無数の視線に気付き、が非常に気まずそうな顔をして、小さく舌打ちする。それに釣られるかのように、特に何もしていない筈の光亮まで、椅子の上で小さくなっていた。 「本当に、気の短いお方ですねぇ」居心地の悪い空気の中で、ただ一人、清一色が涼しい顔をして抜け抜けと言う。漏らされる低い笑い声が、またの神経を逆撫でした。 苛立ち紛れに、従業員が届けに来た煙草の封を早々に切り、吸い始める。ふっと吐き出した紫煙が、清一色の顔にまともにかかった。 「悪いけど、今は仕事の打ち合わせ中なのよ。部外者が居たら話が出来ないわ。さっさと消えて頂戴」 「おや、そうでしたか。それは済みませんねぇ。 お二人とも、ずっと黙りこくっていらっしゃるから、てっきり痴話喧嘩か何かかと」 「………………」 憮然と紫煙を燻らせるに、清一色は尚もにこにこと微笑みかけている。 そして。音も立てずに椅子を引くと、すっと立ち上がり、 「それでは、邪魔者は消えることにしますよ。どうやら、相当ご立腹の様ですしねぇ。 ですが――」 微笑み顔はそのままに、清一色がふっと息を吐いて言葉を切った。 不自然な沈黙が暫し続き、長い指が、つつつ、とテーブルの上を滑る。何一つ道具を持たない、手ぶらでの所作であったが――まるで卦の道具を広げているようだと、は直感的にそう思った。 彼が、次にどんな台詞を発するか。固唾を飲んで見つめる二人に向かい、清一色は、 「ですが、片想いや痴情のもつれでお悩みでしたら、いつでも我が相談に乗りますよ。 今でしたら、恋わずらいに良く効くまじないを特別料金で――」 「――いいからもう帰りなさい、この似非占い師っ!」 の怒号に押されるように、清一色がくるりと踵を返した。 が、その背中に、懲りた様子は全く見られない。それどころか、「ではお二人とも、素敵な一夜を」と、最後まで癇に障る台詞を残して行った。 その背を、苦り切った顔で見届けながら、が吸い終えた煙草を消す。先端を灰皿に押し付けて火を消すその動作が、いつになく荒っぽい。 そこに追い討ちをかけるかのように。光亮が、半ば呆然と呟いた。 「なぁ、あの人……一体、何しに来たんだ?」 「……だから、私に訊かないでってば」 |