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その後も、は周辺の住人に色々訊いて回ったが、ろくな収穫は得られなかった。
何せ、聞かされる話の殆どが、話題の人物――先程の家の住人であり、一連の事件の被害者の一人である――の愚痴悪口に終始するのだ。中には「あんな奴、名前さえ口にしたくないね」と拒否反応を示す者さえ居た。
そうして家々を回る内に日が暮れて、空が段々と暗くなってきた。灯りのついた家からは、夕食の支度をしているのだろう、美味しそうな匂いと笑い声が流れてくる。
外で遊んでいた子供たちが、次々と家に帰っていく。その様を見て、はふうっとため息をついた。

――これじゃもう、聞き込みは続けられないわね。

暖かな家々の灯りに背を向けるように、はくるりと踵を返す。
さて、今度は何処へ行こうか。どうも考えがまとまらず、は暫し足の向くまま気の向くまま、適当に街を歩いてみた。

寂れた郊外から、街の中心――店の立ち並ぶ、表通りへ。
とは言え、やはり大都市から離れた僻地のこと。商店の大半は既に店を閉め、玄関には「clased」の看板を下げている。えらく早寝早起きな店の中、まだ営業を続けているのは、ほんの数店舗しか見当たらない。途中、自分が泊まっている宿屋の前に差し掛かったのだが、今はそのまま通り過ぎることとした。
そうして十数分も歩いていると、道が一気に暗くなった。どうやら、店の並びはここでお終いであるらしい。そこらに生える雑草の陰から、虫の鳴き声がかすかに聞こえてくる。は小声で、やっぱり田舎街だわ、と呟いた。
そんな時である。視界の端を、白い影が通り過ぎた。

―― ? ――

慌てて振り向いてみれば、それはあの女性――瑞妃だった。
髪は結わず、柄の無い白一色の着物を身に纏っている。些か不安定な足取りで、ふらりふらりと歩くその姿は、傍目にはかなり恐いものがある。でさえ、その様を目にした瞬間に一歩後ろに引いた。
こんな寂れた街の外れで、彼女は一体何をしているのだろう。は、近くの建物の影に身を潜めると、こっそり後を追った。



街の通りから一歩外れると、周囲は更に暗くなる。
申し訳程度に設置された街灯も、電球が切れかけているらしく、時折ちかちかと小刻みに点滅している。
薄汚れた壁面には、正視する気にもなれない下品な落書き。辺りに満ちるすえた匂いや、そこらに転がる空き缶や吸殻。都市部では非常にありがちな光景だが、よくもまぁこんな田舎町で、と、は妙なところで感心さえしていた。
そんな場所を、瑞妃はどんどんと先に進んで行く。足元は依然危なげではあるが、迷う様子は全く無い。分岐路に差し掛かっても、一瞬たりとも躊躇する事もなく、ひたすらひたすら歩き続けている。
そんな彼女の動きを追って、がまた物陰から物陰へと移った、ちょうどその時、

「――こんな所で、一体何をしてらっしゃるんです?」

不意に、背後から声がかかった。
慌てて振り向いた先にあるのは、もう二度と見たくないとさえ思っていた顔。清一色だ。
「珍しい場所でお会いしましたねぇ」笑い混じりなその台詞に、は我知らず小さく舌打ちをする。全く、よりによってどうしてこんな時に。

「……清一色。そう言う貴方こそ、何でこんな所に居るのよ? まさか、後を付けて来たんじゃないでしょうね」
「たまたま、傍を通りかかっただけですよ。たまたま」

嘘おっしゃい。
清一色がわざとらしく強調した言葉に、は心の中でそう毒づいた。
目の前の男は今までと同様に、細い棒を数本口に咥え、にこにこと微笑んでいる。こちらの腹の内を探るような、全く何も考えていないような、何とも掴み難いその笑い顔は、いつ見てもとにかく癪に障る。
ふと、視線を前方へと戻してみれば、いつの間にか瑞妃が消えていた。慌てて周囲を見回し、行ける範囲で探し回ってみたが、途中で分かれ道に行き当たったせいもあって、完全に見失ってしまった。
一瞬の油断が命取り。少々物騒な例えだが、まさにそんな気がしてならない。
「どうかされましたか?」一緒にやって来た清一色の飄々とした言い回しが、また神経を逆撫でする。
が無言のまま、ふいっとそっぽを向くと、清一色は「すっかり嫌われましたねぇ」と、大袈裟に肩を竦めて苦笑した。

「まぁ、嫌われるのも仕方ありませんけどねぇ。……でも、宜しいんですか?」
「? 何がよ」
「道が、ですよ。こんな裏通りまで入り込んで、貴女、お一人でお帰りになれますか?」

言われて、がぐっと言葉に詰まった。
相対する清一色は、鬼の首を取ったかのような嬉しげな笑顔。口に咥えた点棒も、嫌味ったらしく揺れている。
「我で宜しければ、道案内くらいしますよ?」偽善の匂いが漂う親切が、不快感に拍車をかける。
もしこれが街中でなかったら、予め目印を付けながら歩いていたのに。心の中で地団駄を踏みながら、は渋々、その申し出を受け入れた。



暗い暗い細道を、清一色の先導で進んで行く。否、戻ると言った方が正しいか。
来る時にも気付いていたのだが、立ち並ぶ建物はどこも固く門戸を閉ざし、窓に厚い帳をかけている。中に人が居るのか居ないのか、表から一目見ただけではちょっと判別がつかない。
周囲にも歩く人の姿は無く、しゃりしゃりと土を踏みしめる自分たちの足音だけが、煩わしい程に耳についた。
右、左、左、右、左。幾つもに分かれた辻道を、清一色は迷わず歩く。自分が来る時と些か順番が違うような気がして、は密かに警戒心を抱いた。
ぱっと見る限りでは、清一色は特に何も持ってはいない。が、もしかしたら、突然あの服の下から何か出てきても、全然不思議じゃない、とも思う。実際、も自身の服の下に、幾つか暗器を持ち歩いているのだから。
ふっと、が髪をかき上げたその拍子に、左耳のピアスが――魔剣『千尋』が、微かな音を立てて揺れた。

「――ところで、その後は如何ですか?」

無言の道行きの途中で、唐突に、清一色がそう尋ねてきた。
歩調はずっとそのままで、視線も前に向けたまま。声音もそれまでとまるで変わりない。今、どんな表情をしているのかさえも、にはまるで伺い知れない。
如何に答えればよいものか。考えあぐね、がずっと無言でいると、清一色は更にこう言葉を続けた。

「他にも、あの事件に取り組まれた方が何人かいらっしゃったようですが、今に至るまで未解決ですからねぇ。
 貴女もさぞご苦労されているかと、我、ずっと案じておりましたよ」
「――それはどうも。でも、どうして?
 どうして貴方、私なんかの事を、そんなに気にかけるのよ?」
「おや、お分かりになりませんか? これでも我は、貴女を心から気に入っているんですよ」

ぴたりと、清一色が足を止めた。
くるりと振り向いたその顔には、掴み所の無いあの微笑み。頭上で瞬く街灯が、不気味な陰影を加えている。
は、無意識に身構えた。

「貴女、少しだけ似てらっしゃるんですよ。我のよく知る人に」
「………………」
「顔や姿は、全く似てらっしゃいませんけどね。でも、貴女のその眼が――」

言いながら、清一色がすっと手を伸ばす。
袖口から覗く長い指が、に触れるか触れないかの微妙な距離を保ちつつ、虚空に静止した。

「――罪人の眼をしていらっしゃる。その眼は、他人を殺める事を、血の温かさを知る人の眼です。
 どんなににこやかな笑みを浮かべても、その眼が全てを裏切っている。隠しても、我には判りますよ」
「……下らないわね」

ふっと息を吐きながら、がやれやれ、とばかりに首を横に振った。
我知らず、口元に小さな笑みが浮かぶ。わざわざ答えねばならぬ馬鹿馬鹿しさに。
不思議そうに小首を傾げた清一色に向かい、は半ばため息混じりに、

「何も隠す事なんて無いわ。ずっとこの腕一本で生きてきたんですもの。綺麗事で全て済む筈が無い。
 それとも、何? 貴方、人殺しは悪い事だって、私にお説教でもするつもり?」
「………………」
「悪いけど、お説教だったら聞く気は無いの。私は、それが仕事なんだから。
 雇い入れる人たちが居るから、この商売が成り立っている。私一人を責めるのは、筋違いもいい所よ」
「……卵が先か鶏が先か、の論議にちょっと似ていますねぇ」

再び、清一色が肩を竦めた。
頭を軽く横に振ったのは、の返答に呆れてのことか、それとも違う考え有ってか。には判らない。
だが。

「それが、貴女の在り方ですか。本当に、面白い方ですねぇ。
 我、結構好きですよ。貴女のような方は」
「……そんな事はどうでも良いから、さっさと先に行きなさい。案内してくれるんじゃなかったの?」

顔をしかめるに、清一色は「済みませんねぇ」と笑って謝り、また歩き始めた。
程なくして、前が急に明るくなる。道を照らす街灯の数も増え、人々が通り過ぎて行く。
見覚えのある看板、戸口から漏れ聞こえる喧騒。間違い無い、目の前に今見えているのは、がずっと逗留している、あの宿屋だ。
「ここまで来れば、もう大丈夫ですよねぇ?」馬鹿にしたような物言いだが、は一応、礼の言葉を述べる。心中穏やかでは無いのだが、人間、本音と建前の使い分けは重要だ。時には我慢せねばならない事も有る。
至極渋い顔をするの目の前で、清一色が軽く頭を下げる。「では、また」そう言って立ち去ろうとするその背中を、はもう一度、引き止めた。

「行きかけた所悪いんだけど。もう一つ、訊いても良い?」
「? 何でしょう?」
「あの時、私の前を歩いていた、白い服を着た女性。あの人が何処に向かってたのか、貴方、見当付く?」

我ながら、馬鹿な質問をしていると思う。そんな事、歩いていた本人でも無ければ分からないだろうに。
だが、あんな場所を近道で歩けるような男だ。もしかしたら、と藁にも縋るような思いが、その問い掛けになっていた。
そんなの本心を知ってか知らずか、清一色は僅かに首を傾げ、暫し黙り込む。
ややあって、少々戸惑ったような口調と表情で、

「我があの場所で目にしたのは、貴女お一人だけです。他に、誰も居ませんでしたよ」
「!」

意外な返答に、が目を丸くした。
そんな筈は無い。戸惑うの心中を他所に、清一色が足早に去って行く。もう、別れの挨拶をする気にもなれなかった。
が一つため息をつき、何気無しに足元に視線を落とすと、さっきまで彼が立っていた場所に、小さい物体が一つ落ちている。
「ちょっと、これ、落し物っ……!」律儀に拾い上げ、急ぎ後を追ってみたが、追いつけぬまま姿を見失う。そう急ぎ足でもなかった筈なのに、一体何処に消えてしまったのか。
全く、訳の分からない無い男だ。苛立たしげに髪をかき上げながら、はその物体――麻雀牌に、改めて目をやった。

「……ったく、商売道具落としていくんじゃないわよ。あのキテレツ占い師」

表返した麻雀牌には、墨文字で『影』と書いてある。
洒落にならない、と、は再び、深く深くため息をついた。









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