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「お疲れ様でした。いやあ、大活躍でしたねぇ。貴女の独壇場ではないですか」 「……どうも」 にこにこと笑う清一色の言葉を、は憮然と受け流した。 一体何が悲しくて、こんな時にこの男に出迎えられねばならぬのか。そう思うことすら悔しくて、は足早に彼の席の脇を通り過ぎる。 すれ違う瞬間、の足元や袖口に点々と付いた返り血を、清一色がちらりと見やる。その眼差しが、いやに含みを帯びた微笑みと共に、まるで蜘蛛の糸のように細く強く四肢に絡みついた。 こんな時、くどくどと御託を並べ立てられるのも不快だが、無言なら無言で癪に障るものだ、と、顔では無反応を決め込みながらも、は頭の片隅でそんな事を思う。 そうしてが店内を進み、二階の客室へと続く階段に差し掛かった所で――清一色は、不意に音も無く立ち上がり、 「ところで、貴女はご存知ですか? 人間が妖怪を千人殺すと、自らも妖怪に変化してしまうそうですよ」 が振り向くと、清一色とまともに目が合った。 こちらの出方を伺うような、冷淡で容赦の無い眼差し。いや、彼の中には既に何らかの予測と確信があって、それに沿った答えがの口から述べられるのを、今か今かと期待するような、そんな昏い歓喜に満ちた目であった。 全く、不愉快な男だ。 「心配してくれてありがと。でもね」 底意地の悪い視線を真っ向から受け止めて、が微笑み返した。 だが、その眼は全く笑っておらず、剣呑な輝きを孕んでいる。ふっと髪をかき上げると、指が、左耳のピアスに、千尋に軽く触れた。 「私もその話は知ってるし、ちゃんと対策も立ててるわ。どうぞご心配なく」 「ほう、どんなです?」 「駄目よ。企業秘密だから」 興がってそう尋ねた清一色をあっさり切り捨て、がさっさと階段を登り始める。 しんと静まり返った空気が、未だぴりぴりと肌を刺す。手すり越しに、階下に残る清一色の姿を見下ろしてみれば、彼は何故だか更に笑みを深くし、一人うんうんと深く頷いていた。 彼が何を呟いているのか、ここからでは聞き取れない。が、もう気に掛ける事さえ馬鹿らしくて、はそのまま、自分の部屋へと戻っていった。 そして、翌朝。一歩外に出てみると、案の定、街は混乱状態の中にあった。 容赦なく降り注ぐ陽光の下、余すところなく晒される昨夜の破壊の深い爪痕。あちらこちらで、黙々と瓦礫を片付ける人々の背中が、悲しいため息をついている。近付くことさえ躊躇われるような、疲弊と悲嘆に満ちた絶望の呟きが、そこかしこに落ちていた。 砂埃が風に散る中を制服姿で奔走するのは、役所勤めの者たちだろうか。陰鬱な心境を手に抱えた書類やファイルでそっと隠し、家々の被害状況を聞き込む姿は、職務に忠実である故に却って痛々しい。 更に通りを歩いてみれば、街の中心にも程近い四辻の片隅で、人々の群がる様がある。一体何があるのかと覗いてみると、人々の輪の中心に、昨夜の妖怪の骸が転がっていた。 刀傷を負い絶命した身体に、棒きれが何本も何本も突き刺さり、次々と石が投げ付けられている。中には、恨み言を延々と言い募りながら直接足で蹴り付けている者や、棒や農具で殴りつける者も居た。集う人々の目には一様に怨恨と憎悪の色が浮かび、漂う空気までもが昏い悦びに歪んでいる。こんな光景は過去にも何度も目にしているし、彼らを咎められる立場でもないのだが、やはりいつ見ても気分が悪い。は半ば逃げるようにその場を後にした。 例の連続殺人すらも人々の念頭から消えているかのような、嘆きと恨みと憎しみの声。街中を歩けば歩く程、それらは強く悲しく耳に響く。 そんな道行きの途中で、 「――あんたらなぁ、言い掛かりもいい加減にしろよ!」 突如、光亮の罵声が辺りに響き渡った。 声のした方へと行ってみると、玄関先の壊された食料雑貨店のすぐ前で、中年の男たちが何人か集っている。光亮も、その集団の中に混じっていた。 彼はその顔に憤怒の相を浮かべ、親子ほども歳の離れた男の胸倉を掴んで、今にも殴りかからんばかりの剣幕で何やらまくし立てている。相対する男たちも、同様に怒りに満ちた眼差しを彼に向けている。まさに、一種即発と称すべき事態であった。 その様を、は暫し傍観していたが、 「こんな所で何油売ってるのよ? 貴方、今朝一番に私の所に来るんじゃなかったの?」 「あ、いや、その……」 間に割って入ったの台詞に、光亮が途端に口篭もった。 男たちは男たちで、そんな二人の会話に付いて行き切れず、呆気に取られたような顔をする。その表情に、揃って畏怖の念を交えているのは、昨夜、が妖怪を返り討ちにする様を彼らに見られていたという事か。 微妙に腰の引けた態度に気付かぬ振りをして、先程の諍いの原因を問い正してみる。すると男たちは、「光亮がいきなり殴りかかってきたんだよ」との答えを返す。当の本人は、「つまらん話してたせいだろ」と忌々しげに吐き捨てた。 そんな話だけを鵜呑みにすると、光亮が一方的に悪いという結論になる。だが。 「こいつら、夕べ妖怪が街を襲ってきたのは、瑞妃姐が手引きしたからだって話してたんだ。 ンな事ある訳ないだろ。言い掛かりつけるにも程があるってんだ」 「だがな、その現場を見た奴が居るって、皆そう言ってるぜ」 「皆って誰だよ。誰がそんな話してんだよ」 「皆は……皆だよ。街中の、皆が」 「だから、それが誰だって訊いてんだよ!」 当人たちは至って真剣であろうが、傍目には極めて不毛な会話である。 内心、が辟易していることにも気付かずに、彼らは口々に、 「夕べ瑞妃の奴が、酒場の裏で妖怪と話してたらしいんだよ。 あの女、見られた事に気付いた途端、慌てて逃げ出しやがった」 男たちは延々と、まるで己自身が見てきたかのように無駄に詳しく話を続ける。 「俺は最初から、あの女は信用してなかったんだよ」男の一人がそう断言し、更に、例の殺人事件についても話題が飛び火したところで、 「はいはい、話は分かったから。光亮、行きましょ」 「え?」 全員が呆気に取られているのもお構いなしで、がすたすたと歩き始めた。 その後を、光亮が慌てて追いかける。すれ違いざま、男たちと彼との間に無音の火花が散ったが、は気付かぬ振りをした。 砂埃の舞う街の中、二人肩を並べて歩けば、道なりに続く人々の悲喜こもごもをも目の当たりにする。親しい人の無事を知り、満面の笑みを浮かべる人。悲報に接し、大声で泣いてその場にくず折れる人。隣り合わせに見る表情に、憂き世の厳しさを痛感する。 「で、どこに行くんだ?」 「瑞妃さんを探しに」 の言葉に、光亮がその場に足を止めた。 「あんたまで噂を信じてるのかよ!」顔を紅潮させて怒る彼に、は何も答えない。暫し、両者の間に不穏な空気が流れる。 背後でがらがらと瓦礫を片付ける音が響き、疲弊した人々が脇を通り過ぎて行く。誰もこの二人には特に関心を寄せず、その為に却って両者の向ける眼差しや意志が、真っ向から衝突した。 ややあって、が深くため息をつきながら、 「……あのねぇ。いい加減、頭を少し冷やしなさい。誰が、あの噂を信じるって言ったのよ」 「でも、瑞妃姐の所に行くって!」 「私の目的は全くの別件よ。昨日訪ねた時に、話を聞き損ねちゃったから」 言いながら、は密かにジーンズのポケットをまさぐる。その中には、あの時川原で拾い上げた、あの正体不明の文字の書かれた紙片が、綺麗に折り畳まれた状態で入っていた。 叶うなら、昨日街の裏通りを歩いていたかどうかも、本人に直接会って訊いてみたい。あの時、あの場所で自分が見たのは、瑞妃本人かそうでないのか。とにかく、夕べ訊き損ねた事は沢山ある。 「彼女の勤め先まで、案内してくれるわよね?」が改めてそう問うと、光亮は、渋々ながら首を縦に振った。 が、肝心の瑞妃の姿は、街の何処にも見当たらなかった。 市場の中にも、酒場にも、街の端の方にある自宅にも、立ち寄った形跡さえ見つからない。雇い主や近所の住人に行き先を聞いてみても、誰もが揃って「知らない」としか言わなかった。 ただ一つ救いなのが、役所で作成された名簿に、その名が記されていない事である。が、どれだけ探し回っても、何処にも見つからないのだから、大した違いにはならないかも知れないが。そう広くない街の中で、何故たった一人の姿が見つからないのか。まさかこの街を去ったのではないだろうか。次第に頭をもたげる嫌な考えに、だんだんと気が焦ってくる。 そして。行く先々でまことしやかに流れている、“瑞妃が妖怪を手引きした”という噂。 人々の口から、憎しみを、怒りをもって彼女の名が囁かれる度に、光亮は険しい顔をし、は片眉を吊り上げる。こんな短時間で、よくぞこの話題がここまで流布するものだと、苦い思いを噛み締めながら。 そうして街中を探し回るうちに、日はとっぷりと暮れていた。 既に太陽は西に沈み、空は夜の藍に染まりきっている。並ぶ家々も、人も、その影をすっかり色濃くし、未だ片付け切れぬ瓦礫や壊れた物品も全て、薄闇の中に沈んでいた。 昨日までなら、この時間にはぽつぽつと店の軒先に灯りが灯り、家路に就く人々の後ろ姿や、酒を飲みに行こうとする人々の楽しげな顔が行き交っていたのだが、今日はまばらに申し訳程度に点けられた街灯の光の元、道を歩く人々も、誰もが肩をがっくりと落とし、力なく行くだけである。 「で、どうすんだ? 瑞妃姐、どこにも居ないぜ」 「……そうねぇ」 投げやりに問う光亮に、も困惑のため息をついた。 見つからなかった時の対応策は、全く考えていなかった。いや、考えても良策が浮かばなかった、と称した方が正確か。 元々、手掛かりらしい手掛かりの少ない事件だ。調べられる所は大体調べ終わっているし、例え聞き込みを続けたくとも、街には昨日の妖怪騒ぎの爪痕が深い。今日もそうであったように、誰もがその悲しみと憤りに満たされている中では、有益な情報はまず得られないだろう。夕べ、通りで瑞妃本人に出会った時にいろいろ訊いておけばよかったと、強く後悔の念が湧く。 調査は完全に行き詰まり、後に残るは謎ばかり。それこそ、次に誰かが殺されない限り、運良くその現場を押さえない限りは、目ぼしい進展は得られないだろう。が、他人の死を待ちわびるような、そんな虫の良い展開を望む事だけはしたくない。誰が、好き好んで他人の死を喜んだりするものか。 「この際、この件から手を引いちまうか?」光亮が、たまたま近くに転がっていた空の酒樽に腰を下ろし、特大サイズのため息をついた。杖の代わりに、己が得物に重心をかけて前屈みに座り込むその様は、まるで老人のような疲弊感に満ちている。 振り仰いだ空には雲一つ無く、夕闇にぽっかりと月だけが浮かぶ。地上の家々はますますその影を色濃くし、辺りの静寂を一層際立たせていた。 人気の途絶えた街に改めて目を向け、どうしたものか、とが思惟に耽り始めた――その時、 かたかたかたかた。 そこで、何かが動いた。 はっと二人が目をやると、一体の人形があった。月だけが辺りを照らす暗がりの中、街をなぶる夕風に長袍をひるがえし、かぶった中華帽の房を揺らしながら、人形はとことことこちらに歩み寄り、二人の目の前でぴたりと止まった。 くりっとした黒い双眸が、一人をじっと見る。暫しの間を空けて、かくんとその顎が落ち、 「――オ姉サン、何ヲソンナニ困ッテイルノ?」 |