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「光亮。お願いだから、貴方はここから動かないでね」 でないと、命の保障はしないわよ。そう言い残して、は騒乱の中へと躍り出した。 瑞妃の眼が、の姿を捉える。人形も同じくを見る。 魔剣の巻き起こす衝撃波が、本来の主人へと牙を剥く。は辛うじてそれらを交わし、駆け回る。その余波で飛び散った虫や大男たちの骸の破片が、腕や脚に、細かい傷を幾つも刻んだ。 左肩の痛みを堪え、右手に刀を携えて、がでたらめに走り回る。瑞妃が、追って剣から衝撃波を放つ。当たり損ねた衝撃波が、周囲に更に破壊を振り撒いた。 ひたすらに赤い剣を振り回し、愉しげに笑う瑞妃の姿は、凄絶なまでに美しかった。全身に浮かんだ青黒い血管はまるで戦化粧で、ひるがえす白いドレスは死神の装束。流石、元花形女優だけあって、その一挙手一投足全てが、まるで舞を舞っているかのようだ。益々強く輝く剣が、彼女に従い闇に赤い軌跡を刻む。彼女を彩るかのように。まさに、破壊と狂気の女神がそこに居た。 その様を時折横目で見ながら、が懸命に走り回る。衝撃波と、ついでに飛んでくる何かの破片を避けながら、何とか彼女との距離を縮めようと図っていた。 が、正直言って、策らしい策など何も無い。光亮に借りた青龍刀も、せいぜい飛来する瓦礫や塵を切り捨てるだけだ。左肩はますます痛みを増すし、闇雲に走り回るせいで息も切れる。我ながら無謀にも程がある。 それでも。 ―― 何とか、いい加減何とかしなくちゃね ―― 隙を見て、が上着の袖口から流星錘を取り出した。 巻き上がる嵐の間隙を縫って、長い鎖の付いた分銅を、彼女目掛けて投げ付ける。狙いどおり、彼女の腕に細い鎖が絡み付いた。 「こ、こんな物っ……!」瑞妃が忌々しげな表情を浮かべ、自らの腕に視線を落とす。衝撃の嵐が一瞬止んだ。その機に、が一気に間合いを詰める。携えた刀の切っ先が、真一文字に振るわれた。 瞬間。宵闇に、鮮やかな血飛沫が舞った。 瑞妃が、大きく薙がれた胴を抑えながら、後ろに二、三歩よろめいた。 そこへが、返す刀で心の臓を狙う。物陰で、光亮の声にならぬ絶叫が上がった。 が、 「――!」 の刃がその身を貫くより速く、瑞妃が、赤い千尋を自分の前にかざした。 解き放たれた衝撃波が、をまともに吹っ飛ばす。地に叩きつけられ、全身にまた鈍い痛みが走った。 再び立ち上がろうとして、は、思わず大きく咳込んだ。げほげほとむせ返った中に、僅かばかりの血が混じる。ついでに、肺の辺りがずきりと痛んだ。 今度は肋骨でもやられたか。全てが一瞬の出来事だっただけに、千尋の威力もにわかに落ちていたらしい。でなければ、今の一撃で確実に命を落としていた筈だ。 それでも、と立ち上がろうとするを、瑞妃が、修羅の如き形相で睨む。 纏う白いドレスに、赤い血の花を大きく開かせながら、腕に絡んでいた流星錘の鎖を引き千切り、ぽいと足元に投げ捨てる。 最早、人間の所業ではない。 「よくやってくれるね、あんたは……!」 忌々しげに睨み付けるその瞳が、憎悪と憤怒の塊となる。 月を背にして立つ故に、血管のより濃く浮き出たその貌に、深くて暗い翳が落ちる。細身な身体より噴き出る大量の殺気が、さながら目に見えぬ業火のように静かに揺らめき、対峙するを威圧する。我知らず、足が二、三歩後ろに退いた。 赤い剣が、頭上高く振り上げられる。が咄嗟に青龍刀をかざす。刃と刃が、真っ向からぶつかり合った。 がきぃぃぃぃんっっ! 夜のしじまに、硬く済んだ音が響く。続いて、銀色の破片が宙高く舞った。 の手にしていた青龍刀が、真ん中の辺りでぼっきり折れている。跳ね飛ばされた切っ先が、一秒遅れて地に突き刺さった。 瑞妃がにやりと笑う。がちっと小さく舌打ちする。続いた赤い剣の第二撃は、がぎりぎりの所でかわし切った。 再び大きく間合いを開けた女たちの間を、冷たい夜風が、ざわりと吹き抜けてゆく。 瑞妃の纏う白いドレスが、豊かな長い髪が、暗がりの中にひるがえる。既に瓦礫の山と化した地の真ん中に、その立ち姿は、やけに嵌り過ぎていた。 現実を、幻惑に満ちた虚構かと錯覚させる程に。 「………………」 は、無言で折れた刀を投げ捨てた。と同時に、上着の袖の内側で、密かに短刀を抜き放つ。 刀身、僅か三インチ。掌の内にすっぽり納まってしまう小さな刃は、心許無いこと甚だしい。あまりに分の悪い勝負だと、は微かに自嘲の笑みを漏らした。 と、その時、 「……もしあの日、団長が倒れたりしなければ……」 唐突に、瑞妃がぽつりと呟いた。血走った目付きはそのままに、視線だけを彼方に向けて。 どうやら、独り言らしい。こちらに語りかけている訳ではないようである。が、わざと隙を見せ、誘いかけているのかも知れない。 は沈黙を保ちつつ、暫し、彼女の様子を見定めることとした。 「もし、団長が流行り病で倒れなきゃ、一座が解散にならなけりゃ、私だって、まだまだあの舞台の上に居た筈なのに」 血の管の刺青がびっしり刻まれた顔で、瑞妃が、淡々とした口調で語る。 その声に、人間らしい感情の色が無い。ただ、唇が言葉を紡ぐだけ。 「もし、あの人が受け容れてくれれば。あんな女房なんか捨てて、最初から私を選んでくれたなら――」 風にひるがえる白いドレスが、瑞妃自身の流す血で、どんどん紅く染まってゆく。 私は何も悪くない、皆が私を蔑ろにするからだ、と。独り呟く静かな慟哭が、行き所の無いまま宵闇ににじんで消える。その様を無言で見つめつつ、は少しずつ、少しずつ彼女との間合いを詰めた。 反撃の機は恐らくただ一度だけ。しくじれば、今度こそ死が待っている。は手の内の刃を握り締め、密かに呼吸を整えて、その機に備えた。 語り終えた瑞妃が、高い空を振り仰ぐ。まるで晧々と輝く月に吠えるかのように。その機を逃さず、が一気に詰め寄った。握った刃を前にかざして、佇む瑞妃のみを見据える。小さな刃が、月明かりを反射して銀に輝いた。 その気配に気付き、瑞妃が慌てて千尋を正面に突き出した。赤い剣が無音の唸りを上げる。衝撃波が放たれる前兆だ。が密かに身を硬くする。が、かざす刃の勢いは止めない。突き出された剣をすり抜けて、懐深く飛び込んだ。 の刃が、月光に煌いたその瞬間。突然、外野から何かが飛来した。 「――!」 それが何かを確かめるより先に、が咄嗟に後じさる。投げ付けられたその物体は、瑞妃の伸ばした腕に当たった。 次の瞬間。その箇所から植物のようなものが芽を出し、根を張った。見る間に伸びてゆく蔓が瑞妃の腕の上を這い、かざした刃をも戒める。「こんな物っ……!」瑞妃が怒って引き千切ろうとしたが、伸びる蔓草はびくともしない。青黒く血管の浮き出た白い肌を、深緑の蔓草が這い回り葉を開き繁ってゆく様は、常識という範疇を遥かに凌駕した。しゅるしゅると伸びてゆく緑の蔓の合間で、瑞妃が、苦悶の声を漏らす。 その状況が把握出来ず、が絶句して立ち尽くす。その背後で、かたり、と小さな物音がした。振り返るとそこには、あの人形の佇む姿。 「カカカカ……カカカカカカッ!」 小さな体躯を小刻みに揺らし、人形が至極可笑しげに嗤う。 全てを冒涜するが如く。 「本当ハネ、ソノ種ハ心臓ノスグ隣ニ植エルンダケドネ。 デモ、コレデモ案外上手ク育ッテクレルヨウダネ。血管ガ表ニ浮キ出テタセイカナ?」 「…………種?」 訝しげに問うに、人形が答える。視線を、苦しむ瑞妃に向けたままで。 「ソウ、種ダヨ。血ヲ吸イ、血管ニ根ヲ張ッテ育ツ、チョット変ワッタ植物ノ種ダヨ。 綺麗ダッタオ姉サンガ、今度ハ綺麗ナ花ニナル。ナカナカ洒落テテ、イイデショウ?」 人形はしれっとそう言って、また嗤った。瑞妃が地に臥せ、苦しみもがくその目の前で。 彼女は必死の形相を浮かべながら、肌の上を這う緑の戒めを破らんと暴れ、のたうち回っている。その人形の語ったとおり、種とやらが、彼女の血を吸い上げてしまっているのだろう。刺青のようにびっしりと刻まれていた血管の色が薄れ、些か青ざめながらも、肌が元の白さを取り戻していた。 「ドンナ綺麗ナ花ガ咲クカ、楽シミダネ!」人形が、尚もいけしゃあしゃあと言い放つ。の神経をも逆撫でしながら。腹が立って、その体を蹴り飛ばそうとして――は、はっと地に目を止めた。そこに自分の愛剣が、千尋が転がっている。 人形の引き起こしたあの混乱の中で、瑞妃の手から滑り落ちたのだろう。魔剣は、呪詛を流し込む拠り所を失い、力なく地に横たわっている。些か輝きを曇らせたその剣身は、今は赤くも蒼くもなかった。 迷わずが剣を手に取る。柄を握ったその瞬間、びりり、と電流のような軽い痺れが走る。その衝撃に、痛めていた左肩と胸元とがまた疼いた。思わず、呻き声が漏れる。 その痛みを意地で抑え込んで、が、口の中で咒を唱え始めた。昨夜の妖怪を倒した時とはまた違う、少し長めの真言だ。それに呼応して、剣が少しずつ光沢を取り戻す。 と、その時、背後で何かが千切れる音がした。見ると、瑞妃がぜぇぜぇと荒く息を吐きながら、よろよろと立ち上がりかけている。狂気の相は魔剣を手放したというのに未だ色濃く、血走った目が、と人形とを見据えている。 無残に引き千切られた蔓草が、腹立たしげに地に叩きつけられた。 「オヤオヤ、ヤッパリ上手ク根付カナカッタンダネ。惜シイナァ」 人形が、いけしゃあしゃあと言い放つ。その顔を、瑞妃がぎっと睨み付ける。 「あんたも、私を捨てるんだね……!」血の気を失った唇が、心底憎々しげに呟いた。そんな彼女を見つめ返し、人形が、また奇怪な笑い声を上げる。 「殺して……殺してやるっ!」 逆上した瑞妃が、人形に掴みかからんと駆け寄った。が、人形は意外に俊敏な動きでそれをかわす。空振った細い指先が、傍らで真言を唱えていたの腕を掠めた。その無様な姿を見て、人形が更に笑い声を大きくする。 と、突然。瑞妃の手が、いきなりの顎にかけられた。咒を念じ、荒れ狂う剣を宥めるのに集中していたが為に、の反応が僅かに遅れた。その隙を逃さず、瑞妃の細い指がの首を捉える。 は慌てて引き剥がそうとしたが、喉を締め上げるその手は案外力強い。女の細腕とは思えぬ程に。白い指が、爪が、ぎりぎりと首に食い込んでゆく。 次第に胡乱になってゆくの視界の中で、瑞妃が、甘美で醜悪な笑みを浮かべた。 |