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「そんなに、血に濡れるのがお好きなんですか、貴女は?」
「………………」

甲高い男の声が、固く響いた音の後に続いた。
男は、月を背にするように道の端に立ち、興がるように小首を傾げて、その場にべったり座り込んだの様を、しげしげと見つめている。顔は翳って見えないが、その声だけで、誰であるのかすぐ分かった。
彼ととの間には、古びた麻雀牌が一つ、裏向きに転がっている。恐らくこれが、先程の物音の正体だろう。気配を殺して近付いてきたくせに、わざわざこんな真似をして自らの訪れを知らせる。全くもって悪趣味だ。
煩いわね、とは小さく毒づいた。が、息が未だ乱れたままで、言葉が巧く声にならない。浅く吐く息だけが、虚しく夜の闇に吸い込まれて消える。

「ついでに、貴女自身もそのまま闇に沈んでしまえば、もっと楽になれたでしょうに……」

男はを見つめながら、静かに歩み寄って来た。
何度も目にしたあの白い長袍の裾が、風になびいてゆったりと翻る。その後ろには、一体いつの間に戻って来たのか、あの人形がかたかた音を鳴らしながら付いて歩いていた。
一人と一体は、未だ乾き切らぬ血溜まりにも、全く躊躇せずに足を踏み入れる。歩を進めるその度に血が撥ね上がり、その足元を赤黒く汚す。が、彼らはまるで気に止める様子もなく、悠然と血の海を渡っている。傍らに横たわる瑞妃の遺体には、一瞥さえくれない。
そんな彼らの態度が癪に障って――尤も、彼女を殺めたのは彼らではなく自分なのだが――はぎりっと奥歯を噛み締め、剣を握り直した。
疲労で身体がひたすら重い。が、意地でも自力で立ち上がる。

「嫌よ。私、まだ『私』のままで居たいもの」

こんな奴に、これ以上隙を見せてたまるものか。
腹の奥底から湧き上がる感情が、一旦は力を失った筈の四肢に再び力を与える。多少よろつきはしたが、何とか立ち上がる事は出来た。
次に、乱れた呼吸を整えようとして、は深く息を吸って――辺りに充満する血の匂いもまともに吸い込んで、一瞬、むせ返りそうになった。
修羅場には、とっくに馴れている筈なのに。我知らず、苦い笑みが唇の端に浮かぶ。が、表向きは平静を装って、は改めて、正面の男を睨み据えた。
そんなの心中を知ってか知らずか、相手は、相変わらず飄々とした口振りで、

「おや、そうなんですか。それは残念ですねぇ」

喋る言葉とその口調が、全く噛み合ってない。
全く、何て男だ。次第に募る苛立ちをぶつけるが如く、は、落ちていた麻雀牌をつま先で蹴り飛ばして、

「無駄口ばかり並べ立てる男は、嫌われるわよ。清一色」

は、向ける眼差しに一層の敵意を込める。が、相手は、清一色は全く堪えていないらしい。また、あの癪に障る低い笑い声が聞こえてくる。その足元に、蹴飛ばされた麻雀牌がころころと転がり、停まった。
表返った小さな牌には、黒々とした墨で『執』の一文字が書かれている。清一色はそれを拾い上げると、暫し手の上で転がして、

「やれやれ。貴女、我(ワタシ)に会う時は、いつも怒ってますよねぇ。カルシウムはちゃんと摂ってますか?」
「煩いわね。そんなの、貴方には関係ないでしょう!」

噛み付くようなの反応さえも、清一色は愉しんでいるようだ。相変わらず表情は翳って見えないが、笑いを堪えているらしく、肩が微かに震えている。そのすぐ脇に控えるあの人形も、主と同じく、奇怪な笑い声を上げていた。
晧々と照る月明かりに照らされて、清一色のまとう装束の白が、宵闇に仄かに浮かび上がっている。後ろで一つに束ねられた、色素の薄い長い髪が、夜風になぶられて揺れていた。
暫し、沈黙が辺りに満ち満ちる。息をするのも憚られるような、ぴんと張り詰めた空気の中で、たちこめる濃厚な血の匂いだけが、の意識を辛うじて現実の世界に繋ぎ止める。
それ程までに浮世離れした光景の中で、彼は如何にも可笑しいといった口調で、

「いやぁ。本当に面白い余興でした。我の期待以上でしたよ」
「……余興?」

清一色の言葉を聞き咎め、が一層表情を険しくする。
この男が、事の背後に潜んでいるのには、途中から薄々気付いてはいた。瑞妃が手にしていた麻雀牌。混戦の中、突然飛んできた点棒。三日前、がこの街に初めて来た日の夜にも、彼女とこの男は酒場で会っていた。
一戦終えて少し落ち着きを取り戻した頭の中で、様々な事柄が寄り集まり、一つの仮定を作り上げる。まるで、ジグソーパズルを組むように。
真相は、いつでもそこに在ったのだ。ただ、自分が気付けなかっただけで。
悔しさにぎりっと唇を噛むに、清一色は、僅かに首を傾げて、

「おや、何をそんなに悔やんでいるんですか?
 この女性(ひと)は別に、貴女の身内でも何でもないでしょう。それに――」

言いながら、彼はくるりと踵を返し、横たわる瑞妃の亡骸の傍に立った。
体の向きが変わったために、喋る彼の右半身だけが、月の光に明るく照らされる。彼の白い顔に、濃い陰影が加わった。

「この女性(ひと)を殺したのは、他でもない貴女でしょう。何を偽善者ぶっているんですか」

事実を真っ正面から突かれ、が思わず言葉を詰まらせた。
首筋に、冷たい汗が一筋流れ落ちる。左肩と胸元の傷が、また強く疼き出す。何も、言い返せない。
苦い表情を浮かべるを横目で見ながら、清一色は、変わらず飄々とした調子で、

「あの人を追いかけて来たのはいいんですけどねぇ、我、少し退屈してたんですよ。
 それで、先回りついでにちょっとこの街で遊んでいたのですが――」

喋る彼の足元へと、人形がかたかた音を立てながら歩み寄る。地面に澱む血溜まりを物ともせず、まさに従順な僕の見本のように。
そして。人形は清一色の傍にぴたりと寄り添うと、その眼差しを真っ直ぐに向けた。
その無機質な黒い双眸は、三日前と――逗留する宿の主人の口から話を聞いたあの時と、全く同じだ。

「この街で、沢山の人に会いましたよ。
 悩んでいる人。怒っている人。憤っている人。……他人を、心から憎んでいる人」
「………………」
「あの人を待つ間、ただボーッと過ごしているのもつまらないですからねぇ。
 それで少し、皆さんに付き合って貰ったんですよ。我のちょっとしたお遊びに」

その時になって初めて、清一色の目が、瑞妃の亡骸の上に落とされた。
最早物言わぬ女性のまとう血塗れのドレスの端が、風になびいて力なくはためいている。もう二度と起き上がる事のない彼女の顔を、彼は改めてしげしげと見つめて、

「まぁ、彼女だけでしたねぇ。ここまで長くもったのは。
 あとの人は皆、一回きりで終わりになってしまいましたよ。折角、我が力を貸してあげたのに、ねぇ」

語る彼の眼差しが、一瞬、ふっと遠くに向けられた。
多分、今日までの事をあれこれ思い出しているのだろう。くっくっと昏い笑い声が、血腥い風に乗って流れてゆく。途切れ途切れに聞こえる言葉から、死んだ人々の名やその死にゆく様が、断片的ながらも聞き取れた。
それらは全て、この街で起こった一連の事件と――少なくとも、この三日間にが聞いた事柄と、何もかもが合致していた。
が、ますます表情を険しくする。その様を見て、清一色がにっと嗤う。
一際冷たい風が、両者の間を吹き抜けた。

「まぁ、多少の暇潰しにはなったのですから、それはそれで良しとしましょう。
 ですがね、我にはよく判らないのですよ。何故に人間(ひと)は、そう物事や他人に拘るのかと」

喋る彼の掌の上で、先程の麻雀牌が転がっている。『執』の一文字が書かれた牌が。
時折、無造作に宙に放り投げられ、虚空に綺麗な放物線を描いた後に、また彼の手の中に収まる。
その所作自体は、別に何の捻りも芸も無い、ただの戯れにしか過ぎないのだが。

「愛とか人道とか正義だとか言っても、結局は、己が満足したいだけでしょう。別に、無くても十分生きていける。
 その筈なのに。何故、そんなに拘りたいんでしょうかねぇ――」

清一色の述べる言葉には、他者に聞かせるというよりは、自らの内側に向けて語りかけているような、どことなく自己完結的な響きがある。彼は、一体何を考えているのだろう。何が言いたいのだろう。こんな陰惨な連続事件の裏で糸を引いてまで、何を求めるというのか。
訝しむの目の前で、牌がまた、高く放り投げられた。

「そうそう、いきなりで何ですけど。
 貴女がどれだけ妖怪を殺しても妖怪にならないのは、その剣の力ですか?」

突然話題を向けられて、が一瞬返答に詰まった。
が、言った清一色自身も、別に答えを求めてはいないようだ。「まぁ、我にはどうでもいい事なんですけどねぇ」と呟いて、ちらりと傍らの遺骸を見やる。
そして。弄んでいた牌の表面を――書かれた『執』の文字を、に見せつけるようにして、

「人間が千人妖怪を殺すと、自分も妖怪になってしまう。ただの言い伝えだと、我もずっと思っていました。
 少し前までは、ですけどね」
「………………」
「それほど昔でもない昔、ある所に、一人の人間の男が居ました。
 愛してはいけない筈の相手を愛して、愛して、愛し抜くあまり……千人の妖怪を殺めて、本当に妖怪になった男が」









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