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「どうしたんですか、顔が真っ青ですよ。何か恐ろしい物でも見たんですか?」
「あ、貴方ねぇっ……!」

振り向いたの視線の先で、清一色が笑っている。
闇の黒い色ばかりな世界の中で、その姿は一際白く、それ故によく目立つ。まるで白い火焔を灯したように。入れ替わりに、わらわらと群がっていた死者たちの影が消え、場には、だけが残された。
底無しに深い静謐と、五感さえ狂う黒暗の中で、改めて二人が対峙する。

「……こんなものを私に見せて、一体どういうつもりよ、清一色!」

沈黙の帳を振り払うように、が大声を張り上げた。
が、対する清一色は全く怯む様子は無く、にやにやと笑っているのみだ。口に咥えた点棒が、本気で怒るを馬鹿にするかのように、ぷらぷらと上下に揺らされていた。
やがて彼は、その点棒を口から離して、「我は何も見てませんよ、貴女が独り闇雲に剣を振り回す以外はねぇ」と言った。
そして、細い目をひたりとに止めて、

「貴女、本当に愉快な方ですねぇ。我の仕掛けに、面白い程よく掛かってくれる。
 時には、我の予想以上によく踊ってくれて……お陰で、全く退屈せずに済みましたよ」
「――!」
「何も知らないで剣を振りかざして、ためらいなく殺しまくる。
 貴女自身は善行のつもりでしょうが、我から見ると、滑稽で仕方ありませんよ」

言いながら、彼は至極愉しげな笑い声を漏らした。くっくっと喉を鳴らすようなその笑い声は、の自尊心に無数の棘を突き刺す。悔しくて、はまたぎりっと唇を噛んだ。
心底腹立たしいのに、返せる言葉が見つからない。何も知らなかったのは事実だから。目の前の事に振り回され、街中を奔走しまくっていたのも、今思えば道化そのものだ。すぐ傍に真実が在ったのに、最後になるまで気付かないで。
固く口をつぐんだを更に嬲るように、清一色は言葉を続ける。

「何故に貴女がそんな生業を始めたのか、我には判りませんけどねぇ。
 でも本当は――罪の意識を覚える以上に、愉しんでいるのでしょう? 人を、殺すことを」

喋る清一色の足元に、また一つ、小さな白い影が浮かぶ。あの人形だ。
人形は無垢で無機質な双眸をに定め、にやにやと笑う主の後を継いで、

「人ヲ殺スノハ愉シイデショウ? 気分ガ高揚シテ、タマラナク興奮スルンデショウ?
 相手ガ血ヲ噴イテ倒レル度二、トテモいい気分ニナルンデショウ?」

かたかたと身を震わせるその音が、嘲りの哄笑のようにも聞こえる。
違う、と否定したいのに、何故か声が巧く出ない。その理由は、自分でもよく判らないけれど。

「罪ノ意識ノ痛サヤ辛サモ、快感ニナッテルンデショウ?
 男ニ抱カレルノト人殺シト、ドッチガ気持チイイ?」
「――煩いわよ、黙りなさい!」

纏わりつく悪意の言葉を振り解きたくて、は更に大声を張り上げた。
嫌だ、聞きたくない。普段は意識すらしない心の底の汚泥を無理矢理抉り出されるようで、酷く胸の奥が痛む。剣を握る度に、戦う度に気分が高揚するのも事実だから。だけど。
は両耳を固く塞いで、頭を横に振った。そんな彼女を、清一色は微笑みながら見つめている。侮蔑に満ちた光を瞳に宿して。

「例えその身が人間のままでも、貴女、妖怪以上に性質が悪いですよ。
 一旦敵と決め付けたら、相手が誰であれ躊躇無く殺すんですからねぇ」
「…………」
「ましてや、貴女はそれは生業だと言った。なら、今まで、どれだけ恨みや憎しみを買ってきてるんです?
 ほうら、貴女のその手も――」

彼の言葉に釣られて、はふと我が手を見やって――驚きに目を大きく見開いた。
綺麗に拭いた筈の両の手が、血で真っ赤に染まっている。指と指の合間からも赤い色が滴り、ぼたり、ぼたりと地に落ちる。
この手が血に濡れること自体は、勿論、これが初めてではないけれど。

「オ姉サン、血ノ色ガヨク似合ッテルネ。身体中モ真ッ赤ダヨ!」

言われて、は改めて己が衣服に目をやった。
彼らの言うとおり、上着にもジーンズにもべっとり血が付いている。瑞妃と戦った時にさんざ浴びた返り血と、己自身の流した血が。暗闇の黒と彼らのまとう白い色、無彩色ばかりが占める世界の中で、血の赤だけがいやに鮮やかだ。
疼き続けている傷の痛みと同様に、に、罪人の烙印を刻むかの如く。

「血塗れのその姿こそが、貴女自身の本性でしょう。いつまで、善人の仮面を被っているんです?」

毒気を存分に含んだ言葉が、周囲に満ちみちる暗黒が、じわじわと心を侵食していく。
身を焼かんばかりだった筈の怒りが、憤りが次第に退き、気持ちが、段々と彼らの言葉に傾いてゆく。
「正義だ仕事だと言ったって、所詮は主観の問題でしょう」ならば、もっと自分の欲望に素直におなりなさい。清一色の唇の綴る言葉が、蠱惑的な響きをもってを揺るがす。耳を傾けてはいけないと頭の中で激しく警鐘が鳴っているのに、心がずるずると引きずられてゆく。

「幸い、貴女にはそんな素晴らしく凶悪な剣があるんですから。その威力を、もっともっと活かしてやれば如何ですか」

その方が、貴女自身も楽になれるでしょう?
甘い毒を囁きながら、清一色は、ゆっくりとの方へと歩み寄った。長く爪を伸ばした白い指が、そっとの顎にかかる。
至近距離から見る男の瞳の中に、自分の姿が映っている。感情を凍り付かせたまま、呆然と立ち尽くす己自身の姿が。

「貴女のその剣の力をもってすれば、欲しいもの全てを手に入れるのも容易いでしょう。
 愛も、力も、何もかも」

自分の欲しいものは何だろう。本当に求めているものは。

「さあ、剣の力を全て解放なさい。さっきのように、貴女自身の欲するままに――」

甘く優しく鼓膜を叩く妄言が、をひどく狂惑させる。無意識に、剣を握る手に力がこもった。
次の瞬間、

蒼く澄んだ閃きが、深い暗闇を切り裂いた。

千尋の斬撃を紙一重でかわし、清一色が大きく後ろに退いた。
それと同時に、辺り一帯を覆っていた深い闇が薄れ、天に戴く月が晧々と地上を照らし出す。一体いつの間に戻って来ていたのか、それとも最初から移動などしていなかったのか。は、元居た空き地に立っていた。
今一度周囲を見回してみれば、至る所に瓦礫が転がっている。自身が引導を渡した、あの哀しい女性の亡骸も。その無残な姿を目にして、再び、胸の奥がずきりと痛んだ。
が、表向きは平静を装って、は二、三度大きく息を吸って吐く。そして、改めて目の前の敵を睨み付けて、

「生憎だけど、私はそこまでして手に入れたいものなんて無いの。
 貴方に言われるよりずっと前から、自分の生きたいように生きてるし、」

心から想うただ一人の男の事は、はなから諦めている。
尊い経文を双肩に掛け、遥かな高みを歩き続ける男。決して誰のものにも出来ないし、そう望む事すら憚られる。もしかしたらもう二度と、会う事すら叶わないかも知れない。
それに。

「別に正義の味方ぶるつもりなんて無いし、自分が善人だとも思ってないわ。
 貴方が、私と誰を見比べてるのかは知らないけど、」

既に幾多の命を殺め、身内殺しの因業まで背負う我が身である。他人を激しく憎むことも、他人から深く憎まれることも経験済だ。引け目を感じないと言えば嘘になるが、だからといって、今更悔やんだり恥じたりしても仕方がない。
手にかける者がどんな悪人だったとしても、死ねば誰かが悲しむし、また新たな憎しみも生まれる。いくら聞こえの良い建前を並べ立てたところで、永久不変な正義など有り得ないし、善悪の区別も時と場合によって簡単に覆る。そもそも、殺生に正道など有る筈が無いのだ。
けれど。

せめて出会う人々が、平穏に幸福に笑う人々が、明日も笑ってくれるように。かつての自分のように、理不尽な暴力や悲しい憎悪に晒されたりしないようにと。心の底からそう願うのもまた真実。
自分一人の力で出来ることなど、たかが知れているけれど。馬鹿な生き方だと、一応は自覚しているけれど。
それでも。

「私は私よ。他の誰にもなれないし、誰も私にはなれないわ」

もし何処ぞの誰かに運良くまた会えた時にも、ちゃんと胸を張っていられるように。
それが、迷って迷って迷った末に導き出した、自分なりの最終結論。

「そうですか、それが貴女の在り方ですか。全く、貴女という人は……!」

きっと睨み付けるの視線の先で、清一色が心底可笑しげに笑った。
「やはり貴女、我の思う以上に素敵ですよ」この女性もなかなかでしたが、貴女は更にその上を行ってますねぇ。物言わぬ女性の骸をちらりと見下ろし、彼はそう言葉を続ける。血に濡れた地面を踏みつけて、大袈裟に両手を大きく広げて。
どこまで人を馬鹿にする気だ。再び湧き上がる苛立ちを闘志に変えて、は改めて千尋を前にかざした。
清一色が、顎をさすりながらにやにやと笑う。がじりじりと間合いを詰める。月だけが見届ける静けさの中、殺意に満ちた眼差しが絡み合う。
と、その時。清一色が一歩足を踏み出した。右手が袖の中に仕舞われる。は迷わず、前に駆け出した。
薄闇の中で、千尋が蒼く強く煌く。狙うは清一色ただ一人。風に翻る長袍が、宵闇に白く浮かんでいる。重い身体に鞭打って、はただひたすらに駆ける。
千尋が、大きく縦に振り下ろされた。が、清一色は軽々とかわす。白い袖口から伸びた拳が、の腹を強く叩いた。思わず、足元がふらついた。
が、ここで倒れる訳にはいかない。は奥歯を噛み締めて、今度は剣を横薙ぎに振るった。今度も難なくかわされる。悔しくて、は小さく舌打ちした。

「やけに動きが遅いですねぇ。やっぱり、無理はいけませんよ?」

侮蔑そのものの眼差しが、針のように心身に突き刺さる。それでもは二撃、三撃と剣を振るう。その全てを、清一色はかわし切った。危ないですねぇ、と言いながらひょいひょいと避けるその様は、それ自体が愉快な遊戯だと言わんばかりだ。まるで笑みを崩さぬ清一色に対し、の顔に、次第に焦りの色が浮かぶ。
でも、それでも。は一旦大きく間合いを取った。と同時に、清一色が点棒を投げ付ける。飛来する細い棒はまさに凶器。は、寸でのところでそれらを避けた。
夜風に乗って、砂埃が舞い上がる。未だ血の匂いを孕みながら。ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返す度に、血の匂いが肺の奥深くまで入り込む。気持ち悪い。が、そんな事を言っている場合ではない。
は二、三度深呼吸すると、またもや口の中で咒を唱え始めた。先程、瑞妃を手にかけた時と同じ咒を。
それに呼応して、蒼い魔剣が更に強く輝きだす。清一色が、興味津々といった面持ちでそれを眺める。晧々と照る月の光が、両者隔たりなく降り注ぐ。場は一瞬、水を打ったように静まり返った。
「まさか、もう終わりじゃないですよねぇ?」おどけた口調で、清一色が挑発に出た。それとほぼ同時に、の咒が唱え終わる。持ち主の体力精神力と引き換えに発露する力を宿して、千尋の剣身が蒼い恒星のように強く明るく輝いた。
次の一撃がきっと最期。多分もう、これ以上剣の力は使えない。いちかばちかの大勝負、倒れるのは目の前の敵か自分自身か。だが、負けたくない。こんな男には、絶対に。
きっとかざした魔剣の剣穂(けんすい)が、冷たい夜風に吹かれて揺れる。清一色の銀の髪も同じく揺れる。
二人が、同時に足を前に踏み出した。

「――!?」

が剣を突き出したその瞬間――清一色の姿が、消えた。
まるで最初から誰も居なかったかのように、気配が、居た痕跡が、跡形も無く消え失せている。
そんな馬鹿な。呆然と立ち尽くすの四肢から、一気に力が抜けた。驚愕の表情を顔に貼り付けたまま、べたりと地に座り込む。と同時に、携えた剣の輝きも弱まった。
座っていることさえも辛くて、は、傍にあった大きな瓦礫に凭れかかる。あの男は、一体何処に。怒涛のように襲いかかる疲労感と傷の痛みで朦朧になる意識の中で、は、目線だけでかの敵の姿を探した。が、やっぱり、どこにも見当たらない。
が深いため息をついた、その時、

『――すみませんねぇ、最後までお相手出来なくて』

清一色の声は、頭上から聞こえてきた。
意識が急に覚醒する。は慌てて上を見上げた。が、やはりその姿は見えない。
甲高く耳障りなその声が、夜の暗がりの中に響くのみ。

『我の本命のあの人が、すぐ近くまで来ているんですよ。名残惜しいですが、お遊びの時間はここまでです。
 ここで遊び過ぎて本命を逃してしまっては、本末転倒になりますからねぇ』

一方的に自分の言い分を述べる男の声音には、愉快そうな、ちょっと困っているような、些か複雑な色が混じっていた。
尤も、その表情を見た訳ではないので、本当はどうだか判らないが。

『ここは一旦退くことにします。
 ですが、首尾よくあの人を我のモノにした後に、貴女も――』

ひとしきり笑った後に、声は完全に聞こえなくなった。
何て男だ、最後まで人を愚弄して。怒りを抑え切れず、は声がした(と思われる)方に向かって、力いっぱい飛刺を投げ付けた。
が、当然、それが相手に届くことはなく、小さな刃は空を裂いた後に、からん、と虚しい音を立てて地に落ちた。

後には、身も心も疲れ果てた自身と、大小様々な瓦礫の山。そして、あの女性の亡骸だけが取り残された。









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