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翌日も雨はやまなかった。次の日も、その次の日も。
雨脚は弱くなってきたものの、銀の糸のように降り続く雨に絡め獲られて四人はまだ森の中にいた。ジープの傷は一応ふさがり体力も戻っていたが、この雨の中を走るわけにはいかない。
丸くなって眠りつづけるジープを部屋に残し、四人は朝食の席についた。

「うんめぇー。このオムレツ」
「がっつくんじゃねえよ。欠食猿が」
「なんだよ!悟浄。そう言いながら俺のソーセージ取んよな!」

彼らにしては控えめなだが、世間一般から見れば充分にぎやかすぎる食事風景である。だが、まだ許容範囲内なのだろうか、三蔵はだまってブラックコーヒーを啜っている。

「すみません。食事のたびに騒々しくて」

さりげなく周囲に気を使うのは保父さんだった。

「いえ、賑やかで嬉しいです」

翠玉は微笑んで焼きたてのパンを追加した。

「そういえばさんはいつもいませんね」
「慶陽の食事の世話をしているから」
「ああ、それで」

四人がここに滞在するようになってから、が一緒に食事の席についたのは、一・二度だ。それほど掛かりっきりに看病しなくてはならないほど、重い病人なのだろうか。
そう言えば時折り薬を煎じるような匂いが、台所からただよっている。赤黒い液体が入った壜を持って、二階へ上がるを見かけたことも何回か。

「大変ですね」

翠玉は俯いたまま、スプーンでコーヒーをくるくるかき回すだけだった。
この話題は続けてもいいものかどうか。八戒はサラダについたトマトをフォークでつつきながら、さりげなく視線をめぐらせた。
翠玉というこの女性は、美人というよりも、可愛いらしい顔立ちをしている。蜂蜜のような色の丸い瞳。ふっくらした珊瑚色の唇。ただ時折り疲れた影がさすのは、やはり病人の看病のためなのだろうか。
 彼女はよくぼんやりと椅子に座っていた。何かお手伝いを、と申し出ても首を振る。時折り不思議そうな目を悟浄に向けたあと、物問いたげに三蔵を見るばかりだった。
手入れの行き届かない家は、どんなに飾っても荒んでゆく。住む人の心を映し出すように。
窓辺におかれた花瓶には花はなく、横に並んだ人形はうっすらと埃をかぶっている。
ただ翠玉の丁度正面におかれた写真立てだけが埃ひとつなく磨かれていた。
ガラスの向こうで笑顔を見せているのは、翠玉と黒い髪の男性。この家の前で撮ったのだろう。今時めずらしいモノクロ写真の中の二人は、幸せそうに笑っていた。

「あ・・・」

八戒の視線に気づいた翠玉が写真立てに目をやる。その口元に淡い笑みが浮かびあがった。薄れていく幸せの記憶を味わいなおすように。

「結婚したばかりの時に撮ったんです。慶陽と」
「優しそうなかたですね」

八戒は当り障りのない言葉を選びながら、食事風景にふさわしい会話を続けようとした。

「ええ、とっても」

翠玉の笑みが深くなる。その笑みに八戒は、どこか歪んだものを感じた。

「優しい人でした、だから・・・」

翠玉の声のトーンが次第に高くなっていく。

「私のかぞくは反対したけど、いっしょうけんめい説得して、やっといっしょになれて、しあわせだったのに・・・あんな・・・病気に」

もうそれは会話ではなかった。翠玉は自分の内側から沸きあがる思いのままに口を動かしているだけだった。どこか調律の狂った楽器をかきならすように、一人で喋りつづける。

「どうして・・・・・・ねぇ三蔵様」

想いの矛先は、いきなり三蔵に向けられた。

「どうしてあんなに くるしまなきゃいけないんですか あの人だけが」

翠玉の蜂蜜色の瞳がきろりと動き、合わない焦点は三蔵の姿を歪めた像に結んで絡みつく。

「くるしんで くるしんで じぶんのことも わたしのことも だんだんわからなくなっていく人を どうすれば いいんでしょう」

朝食の席はその動きを止めた。悟空と悟浄はパンやハムをくわえたまま、八戒はフォークの先にトマトを刺したままの姿勢で翠玉から目が離せない。窓ガラスを濡らす細かな雨の音が部屋の空気を侵食していく。ただ三蔵だけが揺るぎもせずにコーヒーを啜っていた。
空になったカップを音をたてて受け皿におく。眉間にくっきりと皺を寄せて、三蔵は低く言った。

「好きにしろ」

翠玉は小首をかしげた。半開きになった桃色の唇から、ちらりと白い歯が見える。

「病人を治したいのか、苦しむ姿を見る自分が辛ぇのかどっちなんだ」

懐を探って取り出したマルボロに火を点ける。

「医者に連れて行くなり、放り出すなり、てめぇの好きにしろ」
「すきに・・・じゃあ・・・いいんです・・・よね・・・わたしが」

とつとつと綴られる翠玉の言葉を遮るように、居間の扉が勢いよく開いた。

「翠玉さん、彼の食事が終わったわよ」

翠玉は言われた意味が分からないように、ただの方に丸く見開いた瞳を向けた。
は柔らかな口調でゆっくりと言い聞かせる。

「彼、今日は気分がいいみたいだから、少しお話してみたら?」
「そう・・・そうね」

翠玉はゆらりと立ち上がると、もう三蔵たちのことは忘れたように背を向け、すたすたと歩き去っていった。扉が閉じるのを待ってが口を開く。

「慣れない看病で疲れてるヒトを、追い詰めるようなこと言わないでくださいな」

空いた食器を片付けながら、が棘を含んだ口調で言う。

「たまにはお坊様らしく、ありがたいお説教でもして、不安なヒトの心を和ませていただけません?」

は三蔵をねめつけた。その青灰色の目の下には、うっすらと隈が浮かんでいる。

「他の坊主をあたるんだな」

そう言って金髪の最高僧は食後の一服を続ける。わざとらしく咳き込んでみせると、はゆらめく紫煙を袖ではたいて散らした。

「そーそー。こんな生臭坊主の説教なんざ、聞くだけ無駄だって」
「してほしけりゃそこに正座しろ。小一時間言い聞かせてやる」
「一時間ぐらいじゃ足りませんよ、三蔵」

ゆっくりと部屋の空気がほどけていく。食事を再開した悟空は、ふっと窓の外に目をやった。

「あれ、誰か来た」
「え・・・」

間を置かずに扉が叩かれる。

「おーい、いるかい」
「あ、張さん・・・」

はぱたぱたと駆けていった。扉が開く音に男の声が続く。

さんかい。頼まれてた物、持って来たよ」
「ありがとう。いつもすみません」
「なぁに。ところで前に譲ってもらった香玉、また貰えるかね」
「ええ。持ってくるから、食堂で待っていて頂戴な。ヘンな人たちがいるけど気にしないでね」
「はいよ」

雨に濡れた肩をふきながら食堂に入ってきたのは、五十代ぐらいの男だった。短く切った髪には白いものが混じっている。

「こんにちは、邪魔するよ」

張と呼ばれていた男は、四人に軽く頭を下げた。日に焼けた顔には笑みの形に皺が深い。

「珍しいねぇ、お客さんかい」
「いえ僕達は旅の途中で、こちらに泊めていただいているんです」
「そうかい」

張はぎぃっと椅子をきしませながら腰を下ろした。

「おっさん、ここの翠玉ちゃんと知り合いなのかよ」

「あぁ、よく知っとるよ。氾家のお嬢さんとうちの娘と幼馴染でなぁ」
八戒が差し出したコーヒーに、張はミルクをとぽとぽと入れてかきまぜる。

「まぁ、その縁でこうやって食料品だの薬だのを届けさせてもらっとるのさ」
「この雨ん中?」

悟空の無邪気な問いに、張はいっそう皺を深くして笑った。

「なあに、雨の方がいいのさ」
「なんで」

コーヒーをすすって張が答える。

「出るんだよ、妖怪がな」
「妖怪・・・」

うんざりした四人の表情を、張は違う意味に解釈したようだ。コーヒーをすすりながら話を続ける。
一年ほど前から、この森の周辺で近くの村の人間が死体で見つかるようになった。男も女も、老人も子供も区別無く、手足をちぎられ内臓を食い荒らされた無残な姿で。
犯人を見たものはいなかった。正確には、見て生き延びたものはいない。だがこれは妖怪の仕業だろうということになった。
尋常ではない死体の荒らされ方と、奇妙な偶然を理由にして。

「なんでか雨の日にゃ出ないんだなぁ、こいつが」

晴れた日の田畑で。月夜の村はずれで。数人で用心しながら歩いていても、ふっとその中の一人が姿を消す。そして数日後に変わり果てた姿で見つかるのだ。
しかし雨の日には、どんな場所に一人でいても、襲われた者はいなかった。

「そんなに被害が多いんですか?」

八戒の問いに張は首を振る。

「ここんとこ晴れでも襲われる奴はいねぇが、いつまた出てくるか分からねぇ。あんたらも気をつけな」
「はぁ・・・」

八戒は曖昧に頷いた。こちらが気をつけていても、妖怪の方が訪問してくるのはどうしようもない。ただそういう事情があるなら尚のこと、この家に長居するのはまずい
だろう。

「丁度いいや。おっさん、ハイライトある?」
「いやぁ、ここの人は誰も吸わねぇからなぁ。あとでよかったら、持ってくるがね」
「1カートン頼むわ」
「マルボロ赤、2カートン追加だ」
「食料もお願いできますか?」
「あーっ! 俺、焼き豚とソーセージ!それと」
「おいおい・・・」

困ったように笑いながら、張はごそごそと頼まれたものを書き出していく。そこにが戻ってきた。片手にのせた薄桃色の香玉を張に差し出す。

「お待ちどうさま。はい、これね。それからお願いしたいものがあるンだけど」
「はいよ、毎度。それから前に言っていた染め粉の材料だがね・・・」

張とが話し込み始めたのを機に、四人は自分達の部屋に引き上げていった。



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