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「どう思います、三蔵」
「雨が嫌いな妖怪、か」

三蔵は椅子にかけると、広げた新聞に目を落とした。張から受け取った二日遅れの新聞だが、無いよりはマシだ。社会面、経済欄、政治欄、宗教コラムに目を通していく。特に興味を引く記事は無かったが、目が久しぶりの活字を追うのを止められない。

「関係ねぇな。先を急ぐぞ」
「そうですね、じゃあ張さんから荷物を受け取ったら出発しましょう」
「え、だって雨じゃん」

悟空がきょとんと八戒を見る。

「もうそろそろ上がるはずですよ。西の空が少し明るくなってきましたから」
「おーホントだ」

悟浄は窓から空を見あげ、ためいきまじりに首を振る。

「あ〜ぁ。せっかくと一つ屋根の下だったってぇのによ」

パンツのポケットに両手を突っ込んで、いそいそと部屋を出ていく悟浄。

「どこ行くんだよ、悟浄」
「美女と別れを惜しんでくるに決まってんだろ」
「それじゃ僕は張さんに頼むものを追加してきます」

悟浄を追うようにして八戒が腰をあげた。その肩にジープがふわりと舞い降りる。八戒はジープを抱くとベッドの上にそっと下ろした。

「駄目ですよジープ。まだ体を休めていないと」

軽くジープの頭をなでると、八戒は足早に部屋を出ていった。
部屋には悟空と三蔵が残された。ほのぐらい部屋の中、時折り三蔵がめくる新聞の音が、妙に大きく聞こえる。

「なぁ、三蔵」
「なんだ」

三蔵の顔は新聞に向いたまま動かない。眼鏡の下で紫暗の瞳だけが上下して、記事を追っていく。時々面白くない記事にでも行き当たるのか、苦いものでも口にしたように、顔をしかめる。
このところの足止めが休息になっているのだろう。三蔵の顔色はいつもよりいい。不機嫌そうなのは体調に関係ないことは、悟空にはよく分かっている。
悟空は床に座りこむと、背中をベッドに持たせかけた。

「三蔵は、なったことある?病気」
「ガキの頃に熱を出したことはあるな」
「ふーん」

片足をまげて膝を両腕で抱えこむ。
悟空には『病気』がよく分からなかった。怪我はそれこそしょっちゅうだし、深手を負うことも珍しくない。だが元々回復力が強い上に、八戒の気孔で治りも早い。
しかし『病気』は。風邪を引いて寝込んだことも無ければ、熱を出したことも無い。
少なくとも記憶にはない。食べすぎで動けなくなることはあるが、あれは病気とは違うと思う。
ただ、血が逆流するような感覚と共に、頭の中が真っ白に灼きついたことはある。笑いながら悟浄たちに牙を向けたことも、なんとなくだが覚えている。

―熱にうなされるって、あんな感じなのかな・・・―

『くるしんで くるしんで じぶんのことも わたしのことも だんだんわからなくなっていくひとを どうすれば いいんでしょう』

「三蔵。熱が出たとき、苦しかった?」
「覚えちゃいねぇよ」

閉じ込められていた五行山の岩牢から出してくれた。
名前をくれて、その名を呼んでくれる。
応えてくれる。
その三蔵に自分はなにができる?
襲ってくる目の前の妖怪を倒すのは簡単だ。けれどその強さとはなんだか違うものが要るような気がする。

―なんだろう―

頭の中でぐるぐる回るものを、不機嫌な声が吹き飛ばした。

「くだらんことは考えるな」

悟空はきょとんと三蔵を見上げた。

「その猿頭で思いつくことなんざ、どうせロクなことじゃねぇ」

三蔵は新聞から顔も上げない。

「お前は考えなくていい」
「うん・・・」

悟空は抱え込んだ膝の上にあごを乗せた。金茶の視線が床に落ちる。雨の音が妙に耳につく。

「コーヒー」
「え・・・」

悟空が顔を上げると、顔を紙面に向けたまま三蔵が言った。

「コーヒーだ」
「・・・・・・うんっ!」

悟空は床から跳ね上がると部屋から飛び出していく。ベッドから舞い上がったジープ
が、その後ろ姿を追う。

「すぐに持ってくる。砂糖とミルクもいっぱい!」
「余計なもの入れるんじゃねぇ!」

思わず椅子から立ち上がりかけて、また三蔵はどっかりと腰を下ろす。握りしめた新聞の皺を伸ばして記事の続きを読もうとするが、活字は眼鏡のレンズを素通りしていく。

「ち・・・」

舌打ちして三蔵は新聞をテーブルに放り出した。

「手間のかかる猿が」

眼鏡を外して眺めた窓の外は、ほのかに明るさをましたようだ。



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