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その夜、三蔵一行は、森の広場で出会った村長の家に宿を借りていた。
あれからもジープに同乗し、目指していた村にはすぐに着いたものの、街道から離れたこの小さな村には宿屋は無かった。そこで少し前から同じく村長の家に泊まっているというの口利きで、村長の家に泊めてもらうことになったのだ。

「せまい部屋ですまんの」
「いえ、泊めていただけるだけで助かります」

村長にあてがわれた部屋は、2.3人なら充分だが、4人で寝るには少しせまいくらいの離れの部屋だった。だが豪勢とは言えないが食事も出してもらい、そのうえ野宿をしなくて済むのだから、4人に文句の出るはずもない。

か。あの遊郭にいた女だな」
「へえ、三蔵憶えてたのかよ」
「貴様ほど記憶力が悪くないからな」
「あー、そーですか」

夕食も済み、4人はあてがわれた部屋でくつろいでいた。今夜は久しぶりに屋根のあるところで眠れるだろう。ベッドや椅子、床にてんでに座って、煙草やよく冷えたビールを体に流し込む。

「ゆーかくってなんだ? 」
「綺麗なお姉さんがたくさんいて、一緒に遊んでくれるところですよ」

八戒がいつもの笑顔を崩さずに、間違いとはいえない説明を悟空にする。

「へぇ、いいなー。俺も行ってみたいな」
「なんなら今度つれてってやろうか」
「ほんとか? 悟浄」
「おう、いいだろ?三蔵サ……」

笑いをこらえる悟浄の言葉を、高らかなハリセンの響きが却下した。

「ってーな、なにしやがる。このクソ坊主」
「つまらんことを悟空に教えるな。エロ河童が」
「んだとぉ……」
「まあまあ二人とも。おや?」

微笑ましい会話が展開する部屋のドアが、こんこんと叩かれた。

「誰でしょうね。こんな時間に」

いぶかりながら八戒がドアを開けると、廊下にはが立っていた。

「今晩は。入ってもいい?」
「それは構いませんが」
「ありがとう」

は戸惑う八戒の横をするりと抜けて部屋に入ると、まず三蔵に向かってていねいに頭を下げた。

「玄奘三蔵法師様、その節はありがとうございました」
「気にするな」

無愛想な三蔵の返事にはもう一度一礼する。そして今度は床に座っていた悟浄の横にぺたりと腰を下ろした。

「また会えるなんて思わなかったわ」
「イイ男とイイ女はどっかで繋がってるもんなのさ」

くすくすと笑いながらが言う。

「お友達と旅してるの? 」
「んー? ちょーっとな。夕日を追っかけてるわけよ」
「ふうん」

に缶ビールを渡しながら八戒が話し掛ける。

さんはどうしてここに? 女性の一人旅は大変でしょう」
「私はね、この村に招かれたの」

言いながらは缶ビールのプルトップに爪をかけた。だが爪はかりかりと缶の上をすべるだけで、なかなか開けることができない。

「招かれた?」
「そう。明日の夜、祭りで歌ってくれって」

が言うには、この村は今祭りの時期なのだそうだ。

「年に一度ね、可陀様にお供えをして、それから歌を奉納するンだって」
「可陀様つーと、あの祠か」
「あそこにあった肉まん、うまかったなぁ」

プルトップをかりかりと引っかき続けるの手から、悟浄がビールの缶を取り上げた。ぷしゅりと缶を開けてに手渡す。

「ほらよ」
「ありがと」

はビール受け取ると、一口だけ飲んだ。

「ではさんは、歌姫というわけですね」
「そんなにいいもンじゃないけれどね。あとは香玉を売ったりして暮らしてるの」
「香玉ってなんだ?」
「これよ」

はごそごそと袂を探ると、小さな玉をいくつか取り出した。空色、若葉色、薄桃色。淡い色の玉を悟空の鼻先にそっと近づける。

「いい匂いがするでしょう」
「うん」
「これをね、お風呂に入れたり部屋に置いたりして、香りを楽しむのよ」

高ぶった神経を静める薄紫の香玉。気分をすっきりさせる水色の香玉。疲れを癒す若葉色の香玉。は一つ一つ香玉の説明をしていく。

「ふーん。あれ、これは? 」

悟空が目を留めたのは、ピンク色の液体が入った、小さな花模様のアトマイザーだった。

「それはね……」

が言うより早く悟空がアトマイザーを取り上げて上部を押した。途端にしゅっと中身が噴射される。丁度その時、悟空の手元をのぞきこんでいた悟浄は、もろにそれを被った。

「がっ! げほっ」

激しく咳き込みだす悟浄。悟空はアトマイザーを放り出すと、喉を押さえて床を転げる。

「なんだよ、この臭いっ」

両手で鼻と口を覆った八戒が、咳き込みながら窓に駆けよって全開にする。
一人涼しげなのは三蔵だった。

「お前ら、何を騒いでいるんだ」
「貴方、この臭い平気なんですか。三蔵」
「臭い? 別になにもしないぞ」

この突然の状況を、は目を丸くして見つめていた。が、悟浄の様子に気づくときっと唇を噛んだ。悟浄の目からは涙が流れつづけ、息もできないほどひどく咳き込んでいる。は床に突っ伏した悟浄を両腕で抱き起こした。

「悟浄、私の部屋に行きましょう」
「なん……だ……げほっ」
「中和できる薬剤があるの。早く手当てしたほうがいいわ」
「そう……か」

悟浄がよろりと立ち上がった。足元がふらつく悟浄に肩を貸しながら、が部屋のド アを開ける。

「大丈夫ですか、悟浄」
「悪ィな。ちっと行ってくるわ」

八戒に片頬で笑ってみせると、悟浄はと共に部屋から出て行った。



「落ち着いた?」
「ああ、だいぶ楽になった」
「そう、よかった」

悟浄はベッドの上で横になったまま目をしばたいた。あの焼けるような痛みはだいぶ引いていた。瞼に残っていた涙を手のひらで拭い取る。喉もまだ少し痛むが、まぁ大丈夫だろう。
の部屋に連れてこられ、まず洗面所でごしごしと顔と喉を洗われた悟浄だった。
そのあと渡された液体でうがいをし、そのままベッドに寝かせられていた。

「目、閉じて」

言われたままに悟浄が目を閉じると、ひんやりとした感触が顔を覆った。さわやかな水に似た香りと一緒に、じんわりと何かが目の中に染み込んでいくような感じがする。

「少しじっとしていてね」
「ああ」

きしりと音がして、マットの左横が少し沈んだのが、目を閉じたままの悟浄の体に伝わった。

「まだ痛む?」

ふっくらした指が髪を漉く感触がする。

「全然」

強がって答える。
目の上に乗せられた布を上から、そっと手のひらが抑える感触がする。気遣わしげな重みを感じていると、目の奥のひりつく痛みが少しずつ和らいでいくのが分かった。
悟浄が右手を上げて自分の顔の辺りに伸ばすと、目の上の重みはすっと引いた。
悟浄はそのまま手を動かすと、顔を覆っていた布を取り外して目を開いた。まだぼんやりと霞む悟浄の目には、少し困ったような顔でこちらを覗き込んでいるが映った。

「落ち着いた? 」
「ああ、だいぶ楽になった」
「そう、よかった」

はほっと息をつくと、身を引いてベッドに腰掛けた。

「なんなんだ、あれ」
「あれって?」
「あのひでェ臭いの代物だよ」
「あれ……ねぇ」

は悟浄の手から中和剤を塗った布を受け取ると、言いにくそうに口ごもった。

「なんかヤバいもんなわけ?」
「やばいっていうか……痴漢避けスプレーなのよね、あれ」
「はぁ?」

間の抜けた声を上げて、悟浄は肘をついて半身をおこした。

「なんだよ、ソレ」
「ほら、私って一人旅じゃない。いろいろ物騒だから、護身用に持ってたンだけど……ごめんなさい」

の弓形の眉が、困ったように真ん中に寄る。

「まいったね」

悟浄は片手を顔に当てると、またごろりとベッドに横たわった。

「痛むの?」
「いーや」

― 痴漢用スプレーを喰らったなんざ、あのクソ坊主に知られたらなに言われるか −
部屋に残してきた三人には、絶対に黙っていようと心に誓う悟浄だった。

「悟浄……」
「んー?」

目を開けるといつの間にかまた、の顔がこちらをのぞきこんでいた。白い薄物を まとった腕がのびて、悟浄の髪に指をからませる。

「髪、伸びたわね」
「三年ぶり、だからな」

赤い髪をすくいあげた白い指はそのまま悟浄の頬をなで、顎の線をたどっていく。

「もうそんなになるの」

の声に、懐かしさのようなものが滲む。

「最初に会った時にも思ったケドさ……」
「なぁに? 」

はベッドに片手をついて、ベッドに横たわる悟浄の上に身を傾けた。その背中に悟浄の腕がまわる。

「あんた、いい女だよ」

悟浄の指が器用に動き、の背中の留め金をはずした。なめらかな薄物は、するりとの体からすべり落ちる。

「何人に同じこと言ったンだか」

露わになった肌を隠そうともしないでが微笑む。

「いやマジで、さ」
「ほンと?」
「ほんと、ほんと」

くすくすと笑いながら、がゆっくりと悟浄に身を預けてくる。
柔らかな肌。
柔らかな唇。
愛とは違う、と思う。
一夜の夢を見るために、肌とぬくもりを重ねあう。
互いにそれ以上は求めない。三年前もそうした関係だった。

「悟浄」

自分の名を呼ぶ優しい声。

「んっ……」

自分の動きに応えて洩れる甘い吐息。

― いいさ、それだけで ―
一夜限りの夢なのだから。







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