翌日、三蔵一行は朝早く村を発った。もっとゆっくりして行こうとも思ったのだが、村長から『途中
の山道で日が暮れると危険だ』と言われて、早々の出立となったのだ。
「じゃあ元気でね、悟浄」
「ああ。あんたもな」
手を振るをひとり村に残し、一行を乗せたジープは再び西へと走り出した。
「ふふ〜〜ん」
揺れるジープのシートにもたれて、ご機嫌な悟浄だった。
「なにニヤついてんだよ、悟浄」
「お子ちゃまは知らなくていいことよん」
「勝手に言ってろ、クソ河童が」
「おんや、妬いてるの。三蔵サマは」
苦虫を噛み潰したような顔で、三蔵がぼそりと言う。
「貴様、気がつかなかったか」
「あん? なにをよ」
ジープのハンドルを握る八戒が、前方に目を向けたまま口を開いた。
「確かに、あの村は変でしたね」
「変?」
四人を乗せたジープは森を抜け、徐々に険しくなっていく山道にさしかかった。
「変ってどこが? いい村じゃん、食いもんもいっぱいくれたし」
「だから、ですよ」
無邪気な悟空の問いに、八戒が答える。
四人が出立する際、村長はこちらが出した金額以上の食べ物を渡してくれた。好意と思うには多
すぎるほどの。
「僕らのような旅の人間を歓待できるほど、豊かな村とは思えませんしね」
「まるで俺達に、さっさと出て行って貰いたがってるような態度だったな」
ジープが石に乗り上げ、車体は大きく揺れた。岩の多い山道は、少しずつその幅を狭め険しく
なっていく。
「そう言えばさ、お祭りっていうのに、ぜーんぜん楽しそうじゃなかったよなー」
「ええ、何か重い雰囲気でしたね。それになんだか見張られていたような気もします。それに…
…」
昨晩、の部屋に泊まった悟浄は気がつかなかったが、三人の部屋の方には、常に村人の
目があったようだ。夜遅く部屋から出ると、必ず誰かとすれ違ったり、窓を開けるとこちらを覗うよ
うな人影があったり、と。
「可陀様、という名が気になります」
「なんだよ」
後部座席から身を乗り出す悟浄。それに目を合わせたくないように、前を向いたままの姿勢で八
戒が静かに答える。
「可陀というのは、昔、人をさらって食べたという化物の名です」
「なんだとぉ。おいっジープ止めろっ! 」
キッと音を立てて、ジープが急停車する。そこは丁度山道の中に、少しだけ幅の広くなった場所
だった。
三蔵が腕を組んだままの姿勢で、目を閉じて言う。
「化物の祭りに一人旅の女を招いた、というわけか」
悟浄の背中に、じわりと冷たい汗がにじみ出た。
「さんに、ご家族はいないんですか?」
「ああ。あいつに身寄りはいないはずだ」
「なるほど。あとくされがない人間を選んだ、というわけですね」
口調はいつもと変らない八戒だったが、僅かに伏せたその目には暗い影がさしている。その顔は
悟浄に出会った頃の八戒を思い出させた。
悟浄はふいに鉛でも飲み込みこんだような気分になった。胃の辺りからじわじわとイヤな感じが
広がっていく。
前を見れば、道はこの先で急に狭く険しくなっている。今いる場所を過ぎれば、方向を変えて引
き返せる場所があるかどうか。
「三蔵……」
「関係ない寄り道はごめんだな」
「てんめェ……っ」
悟浄はぎりっとジープのシートを握りしめた。
夜。
冴え冴えとした月が、深い森を水底のように青い光で包みこんでいく。降りそそぐ月明かりはま
た、濃い影をも作りあげる。月の光を浴びる樹冠とはうらはらに、樹々の根方は闇を巣食わせて
いた。
うっそうと繁る森の中に、ぽっかりと開いた広場。その広場から森の静寂に向かって、流れるよう
に歌声が響く。
豊かに、滑らかに。澄んだ夜気へ溶け込むように、絹のような歌声が流れていく。
今日の豊穣に感謝し、明日の幸せを祈る。人の思いをそのまま神に伝えようと、彼女は歌う。
広場には、の他には村長がいるだけだった。月影の中に佇む祠の前では歌っている。
それを一瞬たりとも聞き逃すまいという表情で、白い髪の村長は歌声に耳を傾けていた。
やがて歌は終わり、深い森は再び静寂に包まれた。余韻が消えるのを惜しむように、村長がぱ
んぱんと手を打つ。
「お見事ですじゃ。どの」
「ありがとうございます」
はにっこり笑うと、軽く頭を下げた。髪飾りにつけた鈴が、小さく鳴る。今夜彼女は、青い生
地に銀糸の刺繍をほどこしてある、ゆったりとした衣装をまとっていた。
「こんな衣装まで用意していただいて」
「いや。お似合いですじゃ」
裾をひるがえして、くるりと回ってみせるを、村長は目を細めて見た。
「……どの」
村長が口ごもりながら、だが真っ直ぐにを見据えて口を開いた。日に焼けた顔にきざまれた
皺が、いっそう深くなる。
「すまん」
「え? 」
「許して欲しい、とは言わん」
「はぁ……」
きょとんと首をかしげて、は村長を見た。
「恨むなら、この儂を恨んでくだされ」
「そう言われましても……何を恨めとおっしゃいますの?」
「それは……」
村長が口を開きかけた時、嘲るような声が響いた。
「教えてやるよ。アンタは俺らに食われるってことさ」
繁る草を踏みしだいて、森の暗がりから姿を現したものたち。尖った耳と赤く輝く目をもつ、十数
人の妖怪達の一団だった。
「へぇ、今度の玉ァなかなか美人じゃん」
妖怪の一人が進み出て、の腕を掴んだ。は声ひとつあげず、ただ村長に物問いたげな
視線を投げる。
村長は苦しそうに視線をからはずすと、妖怪たちに向かって吐き捨てるように言った。
「さあ、あそこに酒も食料もおいてある。これで最後だ。さっさと出て行け」
「さぁーてね。まぁ、くれる物は貰っとくさ」
妖怪たちはせせら笑いながら、祠の前に供えられていた食料に手を出し始めた。壷からじかに
酒をあおり、肉を食い千切る。
「約束を破るというのかっ!」
怒りに震える村長に、妖怪たちのげらげらという笑い声が浴びせられる。
「約束したのはそっちだろうが」
「あんたらは今まで通り、俺達に食いモンと女を渡しつづけりゃいいんだよ」
「そーそー。それで村は安全、俺らは満腹」
ひゃーっはははははっ。
嘲るような笑い声が広場を蹂躙していく。
「ぐっ……」
拳を震わせながら、その場に立ち尽くす村長。
「この女、声も出ねぇのかよ」
「怖がってないで、さっきみたいに歌ってよ。おねーちゃん」
の腕を掴んでいた妖怪が、にやにやと薄ら笑いを浮かべながら、に顔を近づけた。
「イイ声、聞かせてくれよ」
静かにこの様子を見つめていたは、にっこりと唇をほころばせて言った。
「なぁんだ。ただの馬鹿だったのね」
「あぁん?」
聞き違えたのかと、妖怪が問いただす。今のこの状況を、この女は把握していないのだろうか。
「今なんつった?」
ものおぼえの悪い犬かなにかに言い聞かせるように、はもう一度言った。
「あなたのことをね、馬鹿って言ったのよ」
「このアマっ!」
逆上した妖怪が拳を振り上げる。は眉ひとつ動かさず、捕らえられていない方の腕で懐を
探る。固めた拳がに向かって振り下ろされようとしたその時。
「ぎゃあぁっっ!! 」
月の形の刃が宙をなぎ、闇と共に妖怪の腕を斬った。
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