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―にしても……この女、何者だ? ― 悟浄は歩きながら横目でを見た。 さっき男達に取り囲まれていた時も、怯えた様子はなかったし、逃げようとするわけでもなかった。着ている服は上等だが、いいところのお嬢様といった風ではない。客商売の女かとも思ったが、悟浄が知っている女達とはどこか違う。 「珍しい?」 前を向いたまま隣を歩くに、見透かされたように言われて悟浄は内心焦った。 「いーや、別に」 「そう」 の紅い唇の両端が、ゆるく上がって笑みの形をつくる。口紅とはまた違うその紅さに、悟浄は妙に落ち着かない気分になった。 やがて二人は街のある一角にたどり着いた。 ずらりと並ぶ屋敷は、どれも高い塀に囲まれている。豪華だが住宅の造りではない。優雅な曲線をえがく屋根には、色とりどりの瓦がのり、軒先には紙細工の提灯が下げられている。夜になれば赤や青の灯がともるのだろう。 窓には紅い格子がはまり、その向こうではしどけない姿をした女達が物憂い顔でたたずんでいる。背の高い門には、極彩色の彫刻がわどこされ、その下では鋭い顔の男達が、出入りするものに目を光らせていた。 ―ここって、ヤバくねぇ? ― この雰囲気はよく知っている。花街、色街だ。ただ悟浄が普段通っていた場所とは、店の構えからして違う。 「おい・・・さん」 「でいいわ」 「じゃ。あんたのウチってのは」 「あ、ここよ」 はひときわ大きな屋敷の前で足を止めた。凝った装飾がほどこされた朱塗りの門には、金泥で『芙蓉楼』と書かれた額が掲げられている。 「ここって、遊郭じゃねーの?」 「そうよ」 「そうよって・・・?」 唖然とする悟浄を尻目に、はちょうど門から出てきた少女に声をかけた。 「寧々、ただいま」 「あ!? 姐さんっ」 寧々と呼ばれた少女は持っていた箒を取り落とすと、ぱたぱたと店の奥に駆けていった。 「はいって頂戴な」 「あ、あぁ」 悟浄はに促されて芙蓉楼の門をくぐった。 ―へぇ、凄ェ― 芙蓉楼はこの辺りでも一流の遊郭らしい。磨きぬかれた太い柱は黒々と光り、細かな彫刻がほどこされている。さりげなく置かれた絵や調度品は、どれも高そうだ。天井や壁には金地に鳥や花が描かれ、昼の光を鈍く返している。 悟浄はこういう店で遊んだことはなかったが、それでも花代の高さは見当がつく。肘をもたせた色絵の壷は、悟浄の胸の辺りまでの高さがある。 「こっちよ」 が階段を登りながら手招きをする。 悟浄は咥えていた煙草をその壷でねじ消すと、吸殻を中に放り込んでのあとを追った。 は悟浄を店の三階の奥に案内した。そこは遊郭に住まいする妓女たちの私室のようだった。 「ここよ」 が廊下の奥の扉をあける。 「お邪魔しますっ、と」 悟浄はうっそりと部屋に入った。 通されたの部屋は、華やかだった。広い室内には、色鮮やかな衣装や装身具が、テーブルやハンガーに散らばっている。大きな花瓶には花が活けられ、部屋の中心にあるテーブルには、茶器が一そろい並べられていた。 壁側に置かれた低い箪笥の上には、丸い水槽が置かれ、小さな金魚が一匹、朱金の体をたゆたわせている。その奥に続きの部屋への扉が見える。 「いい部屋じゃねえの、ここに住んでんの?」 「そうよ」 「働いてるわけ? ココで」 「そう」 「ふーん」 ではは妓女なのだ。しかもこの芙蓉楼という楼閣で、これだけの部屋を持てるということは、かなりランクは高いのだろう。 「金ないぜ、俺」 「でしょうねぇ。まぁ座れば?」 はテーブルの上にあった鈴を取ると、ちりちりと鳴らした。 「はぁーい」 軽い足音と共に、寧々が部屋に来る。 「御用ですか、姐さん」 「お茶をお願いね」 「はぁい」 寧々が出て行くのと入れ違いに、こんどは中年の女性が入ってきた。 「戻ったのかい、」 「ただいま、お母さん」 ―母さん? じゃあコイツがこの楼閣の女将ってワケか― 悟浄は座ったまま女主人を見た 年のころは50ぐらいか。飾り気のない服装だが、にじみ出るような威厳がある。 「楊と申します、そちらは?」 楊と名乗った女主人は、じろりと悟浄を値踏みの視線で見まわした。 「沙 悟浄」 「左様ですか」 短く答えた悟浄に軽くうなづくと、楊は視線をに移した。 「今夜はどうするんだい、」 「断っといて頂戴な」 「またかい」 やれやれと言うように、女主人は首をふった。 「張の旦那をむげにするんじゃないよ。でないと今度は牢に放り込まれるぐらいじゃすまないんだからね」 「でもねぇ、さっき会ったばかりだもの。あんまり続けて見たい顔じゃないし」 「会ったって…一体どこで」 楊が声を荒げた時、茶を用意した寧々が戻ってきた。 「まぁ、お茶にしましょうよ。お母さん」 悟浄、、楊の三人はテーブルについた。 「失礼します」 寧々が部屋から出て行くと、三人はそれぞれカップを手にとった。 香りのいい茶を一口飲んで、ほっとした空気が部屋にながれる。 「失礼ですが悟浄さんは、どういうお方?」 楊に聞かれて悟浄は頭をかいた。 ―どういうって言われてもよ― まさか同じ牢屋に放り込まれていた仲です。という訳にもいくまい。上手い言葉が見つからず、悟浄はまた茶をすする。 はついと手を伸ばし、悟浄の髪を撫でながら、さらりと言った。 「この人はね、私の情人」 「ぶっ!? じょーじん?」 吹き出しそうになった茶を、悟浄は必死で飲み込んだ。 「また妙なものを連れ込んで・・・」 困ったもんだと言うように、楊は首を振りながら、両手でカップを包み込むようにして持ち上げた。 「お、おい。情人てなんだよ」 「いや?」 「嫌じゃねぇケドさ」 悟浄が横目でうかがえば、女主人の楊はすっかりあきらめたような顔で茶を飲んでいる。 「じゃあ、そうしましょ」 綺麗なお姉さんにそう微笑まれて、断る理由は悟浄にはない。 で、そういうことになった。 |