― 7 ―
「朝までここにいましょ」 そう言っては小屋の後ろに回った。慣れた様子で小屋に立てかけてある板を横にずらすと、壁には人がやっと通り抜けられるぐらいの穴があいていた。 はするりとその穴から中に入っていく。悟浄は身をかがめて、やっとのことで穴をくぐった。 中は暗くて視界が利かない。と思うと、ぽっと明かりがついた。が小さなランプを手にしている。 「その辺りに座って頂戴」 「あぁ」 悟浄が足元を確かめると、藁がつんである場所があった。それに寄りかかるようにして腰を下ろし、ざっと辺りに目をやる。 どうやら農家の納屋のようだ。今は使われていないのだろう、空気は乾いて少し埃っぽい。 も悟浄の隣に腰を下ろすと、ランプを二人の間に置いた。 やわらかい橙々色の光が二人を包みこむ。 「どうして、こンなことしたの?」 笑いを含んでが口を開いた。 「あ? 面白そうだったからに決まってんだろ」 そう言って悟浄は煙草を取り出すと火を点けた。紫煙が小屋の天井に立ち昇ってゆく。の青灰色の瞳がそれを追う。 「人がいい、って言われるでしょ。悟浄って」 「どっちかってぇと、イイ男って言われる方が多いけどな」 「はいはい」 風が吹いて小屋をゆらす。 ランプの火がゆれ、長く伸びた二人の影もゆれて寄り添う。 遊郭では毎夜きこえていた楽の音色も、妓女達の華やかな嬌声も聞こえない。聞こえるのは風の音、それにかすかに交じる虫の声。 悟浄は手を伸ばすと、の乱れた髪から、落ちかけていた髪飾りを取った。 「ほらよ」 「ありがと」 少し汗ばんだの額に、ほつれた髪がまとわりついている。 走って息苦しくなったのだろうか、帯に締め付けられたの胸は、まだ上下している。 「楽にすれば? 服」 「ここで?」 別の意味を含んで、が笑いながら問い返す。 「そーゆー意味じゃなくってさ」 「私は…そういう意味でも構わないけど?」 の紅い唇が、誘いをかけてうっすらと開く。 「俺も、構わねぇな」 紅と青灰色の視線が絡み合い、二人はどちらからともなく唇をあわせた。悟浄がそっとの胸のまるみをなぞれば、鼓動がいつもより早く打っているのが分かる。悟浄はの汗ばんだ細い首筋に唇をはわせた。 「悟浄…」 耳元でささやくの吐息が甘い。二人はもつれるようにして藁の上に倒れこんだ。 悟浄がの帯を、するりとほどく。少し上気したの肌が、ランプの光にほの白く浮かび上がった。 は横たわった姿勢から、両手を悟浄のシャツの下に滑り込ませた。ひやりとしたその感触が悟浄の熱を煽る。 悟浄が高まる欲望のままに貪れば、は小さくうめく声や、柔らかさを増していく体で応える。 「イイ?」 「んっ…」 互いの熱で一つに溶け合った体は、抗い様もなく激流に流されていった。 そしてどれくらい時が流れたのか。細くなったランプの明かりが満ちる、蜂蜜のような空気の底に、悟浄とは横たわっていた。乱れた息が少しずつおさまり、熱でとろけそうだった体が冷めてくる。人肌の温もりが恋しくて、また悟浄はを抱きよせた。 ぼんやりと悟浄の胸に顔をうずめていたが、ぽつりと言葉を洩らした。 「昔ね、女の人が売られてきたの。遊郭に」 「あ?」 悟浄はに腕枕をしてやりながら聞き返した。 「不義の子を身ごもった、って旦那さんに売られたンだって。女の人も『この子は私が愛した、あの人の子です』って浮気してたのを認めてね。まぁよくあるオハナシよ」 悟浄の声が耳に入らないように、は言葉を続ける。 「やがて女の子が生まれて、女の人はその子をとても可愛がって育てたの。『いつかお父さんが迎えにきてくれるからね』そう言い聞かせながら、遊郭で恋人を待ちつづけていたの。幸せそうに」 「へぇ…いーんじゃねぇの。そーゆーのも」 「そうね」 すこし笑ってから、は話を続けた。 「女の子が7歳ぐらいになった頃、その子の髪に違う色が交じり始めたの」 「違う色?」 「そう。両方のこめかみの辺りから、一房ずつ髪の色が黒くなっていったの」 「ふーん」 「それを見た女の人はね、本当に驚いたわ」 「なんで?」 「旦那さんの家系に出る特徴だったンだって、その髪の色は」 「恋人の子供じゃなかった、ってワケか」 「そう。今までずっと、愛した人の子だと信じて育てていたのは、本当は嫌いで嫌いで…憎ンでいた夫の子供だったの…」 の言葉が途切れた。 「で?」 言い残した言葉を吐き出させるように、悟浄は先をうながした。 「壊れちゃった」 の答えは短かった。 「壊れた?」 「そう。その女の人はね、壊れちゃったの」 淡々と言うの表情は、なんの感情も映していない。 ―その子供は、どうなったんだ? ― そう聞く代わりに悟浄は腕をまげての髪を撫でた。 いつもこめかみから額に巻いている、あの黒い編みひもの感触は無かった。もう小さくなってしまったランプの明かりでは、の髪の色は影になって見分けられない。 そうしようとも思わない。 ただ黙って悟浄はの髪を撫で続けた。 「ごめンね、へンな話して」 「別に、構わねぇよ」 悟浄の腕に乗っていたの頭から、ほっとしたように力が抜けた。悟浄の腕にかかる重みがわずかに増す。は目を閉じ、やがて規則正しい寝息が洩れはじめた。 その寝息に耳を傾けているうちに、いつしか悟浄も眠りに落ちていった。 翌朝、悟浄が目を覚ますと、もうは身支度を整え終わっていた。金色の髪が壁の隙間から差し込む朝日に映える。こめかみから額にかけては、きっちり結われた黒い編みひもが巻きついていた。 「おはよう、悟浄」 「おはよ」 悟浄は大きく伸びをして起き上がった。散らばっていた服を拾い上げ、藁くずを叩き落として身につけていく。 悟浄の着替えが終わるのを見届けて、が口を開いた。 「じゃ、私もう帰るわね」 「あのサ、」 「なぁに?」 小屋の外に出掛けたが足を止める。 「よかったら、ウチに来ねぇ?」 小さく笑っては首を振った。 「また今度ね」 「そっか。じゃーな」 「ん…」 軽く頷いては壁の穴から出て行った。 「また今度、か」 『また今度』 今度などという日は来ない。 約束にならない約束をして、は遊郭に帰っていった。 壁の穴をくぐって悟浄も小屋から出た。の姿はもう見えない。池からふく風が辺りの草を揺らしてい る。 悟浄はポケットからくしゃくしゃになったハイライトを取り出して、火を点けた。深く吸い込んで煙を吐き出せば、夕べの寝物語が思い出される。 本当のフリをした嘘。 嘘の中に紛れこませた本当。 それを暴きたてる趣味は悟浄にはない。 ただ、なにもかも呑みこんで、外に出さずに封じ込めた笑い顔。そんなの笑顔の向こう側に、透けて見えてしまうものがある。 「つまんねーだろが」 悟浄はポケットに両手をつっこむと、のっそりと歩き始めた。 |