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何度となく目覚める度に、悟空には甘い匂いのする器が口元にあてがわれた。 よく見れば「怪しい」部類に入るようなどろどろな物体だったりするのだが。果実をすりおろしたものであるのは判っていたので、悟空はためらう事なく飲み干していた。 それに、飲み干す度に体に力が蘇るのがわかったし。何より、世話を焼いてくれる少女から「悪意」と言ったものがカケラも見えなかったせいだ。 「起き上がる練習?」 幾度も「まだ無理」だと言ってやんわりベッドの押し戻した手……白魚の様だとはいえないが、いかにも「生活」をしている事を主張する手。 何日もたったとは思えないし、実際少女も「半日も待てないの」かと笑っているのか困っているのか、判別のつかない顔をする。 「こうしてると、なんか早く回復する気がするんだ。 早く戻らないと、三蔵は機嫌悪いだろうし。八戒は心配するだろうし、悟浄は……なんか自滅してる気がするから。俺が早く帰ってやるんだ!」 「……本当に、大切なお友達なのね」 「どうかなあ?」 半身を起こして辛いだろうに、それでも悟空は微笑む。 動かない体を動かして、錆びてしまったロボットが少しでも動ける様にするか様だった。ただ、この……悟空の存在している世界に「ロボット」と言う単語は存在していない。 首をかしげる少女を見て、悟空が僅かに笑った。 「俺は、大好きだけどさ」 心から嬉しそうに、悟空が笑って語った。 昔の記憶を持たない、なぜそこにいたのか。それ以前にどこにいて、何をしていたのか全く覚えていない……少なくとも、自分自身と言う存在があるのだから。それを生み出した何かとか、昔の事を知っている誰かがいてもおかしくない筈だけど、今のところそう言う人物を見た事も聴いた事もない。 ただ、最近出会った人達の中には。もしかしたら、知っているかも知れないけれど。 「三蔵は、俺を寺に連れてってくれたんだ。三蔵の仕事で、俺は八戒と悟浄に会った……最初、八戒は違う名前だったけど。今は八戒だからいいんだ。 皆、すげえ強いんだ。俺だって弱いとは思わないけど、旅に出てからは雑魚も多いけど、それでも強い奴に会う事も多くなった……そりゃあ、嫌な奴とか戦いたくない奴に会う事も増えたけど。でも、俺は三蔵や八戒や悟浄と一緒に旅してて、すっげえ楽しいんだ」 明るい顔……人生を楽しんでいる顔。 強いから、悟空が強いから出来る顔なのかも知れないと思って。同時に、違うだろうと思う。 「は? ここに一人で住んでるのか?」 邪気のない微笑を向けられて、少女は少し戸惑った。 別に、聴かれて困る事など何一つ聴かれた覚えはないけれど。 「ごめん、聴いたら駄目だったか?」 「……いいえ、大丈夫。 ずっとここに。昔は……これでも街に住んでいたのだけれど」 「そっかあ、も妖怪達が狂ったせいで……」 勝手に勘違いをされるのは、ありがたかった。 妖怪達が、西域は桃源郷の妖怪達が狂い。人々の「敵」となったのは最近で、それ以前から妖怪人間を問わずに「悪党」と言う奴は存在していたのは確かだ。 しかし、今のご時世では「気が狂った妖怪が町や村を襲う」事は当たり前になってしまった。そうなれば、確かに悟空の判断が間違っているとは言い切れないだろう。 「確かに……ちょうど、同じくらいになるのかしら?」 「誰? あ、もしかしての彼氏とか?」 「そ、そんなんじゃ……子供」 悟空が、一瞬目をぱちくりとさせる。 「え、って子持ち!? しかも、俺と同じ歳ぃ!?」 悟空が焦るのも、当然と言うものだろう。 少女は……すくなくとも、14,5歳くらいにしか見えない。悟空だとて世間では(見た目)まだまだ少年の域を出ないと言われているのだ、その悟空から見ても「年下」だろうと踏んでいたくらいである。それが、悟空と生きていたら同じくらいだと言う子供がいると聴けば、普通は驚くと言うものである。 「って一体……あ」 慌てて両手で口を押える様子を見るのは、確かに不自然だ。 何かしてしまっただろうか? そう思うのも当然の事だ。 「ええと……怒らない?」 「……ええ」 相手が何を言おうとしているのか、そんなのを判断する材料はない。 それならば、相手が何かを言ってから判断するしかない……それは確かだ。 こう言う場合、長い間の隠匿生活を少しだけ少女は恨めしい気分にさせるが。それもまた、これまでの自分自身が選んだ道なのだからとため息をつくしかなくて。 「ホントは『幾つなわけ?』って聴こうと思ったんだけど。考えてみたら、前に八戒が『女性の年齢を聴くのは失礼』だって言ったんだ。悟浄だって『そう言うプライベートな話題は、もっとちゃんと親しくなってからするもんだ』って言ったんだ。 だから、怒るかなあ? って思って……」 ちなみに、仲間の最後の一人に至ってはその手の話題に決して乗らず。悟空が「そぼくなぎもん」をする度に悟浄が命からがら逃げる羽目になるわけだが。 「確か、40は過ぎていたと思うわ……」 「げっ! ……あ、いや。そうじゃなくて……」 明らかに会話が焦っている感じがして、こちらまで微笑ましく感じてしまう。 当然だろう、悟空は500年の間を五行山で封印されていた。悟空自身はそのあたりをうまく交わして話していたが、その事をすでに知っている身としては意味はない。 「……?」 部屋というより、小屋の唯一の扉を開ける。 外の雨は先ほど止んだらしく、それでも暗い夜と森の木々の闇が外には広がっている。 「あなたに、謝らなくてはならない」 出口の側に、籠に詰まれた果物……桃だ。一見すると、単なる桃に見える。 その近くには、幾つ籠に入った幾つもの種類の果物達が入っている。中には、悟空には見たことも聞いたこともない様な果物や木の実も入っている。部屋中に甘い匂いが漂っているが、それはいかにも甘ったるいと言う感じではなくさわやかですらある。 「本当は、一瞬で元気にさせる事が出来た。それだけの力を持っている……でも、普通の人がそれを口にするには賭けでしかない。 ……違う、私は。知っていた、ただ少しでも引き伸ばしたかっただけ」 扉を向いた顔、こちらを向かない顔はどんな表情をしているのだろうか? 恐らく、それは喜んでいるわけはないだろう。 「罰、なのでしょう。これが……」 雨は止んでいた、雷は鳴っていなかった。 ただ、風が吹いていた。 「?」 くるりと振り向いた瞬間、少女の頬に髪がかかった。 その手には、美味しそうな桃があった。 「後悔、しないように」 手に乗っていた桃……なんとなく、見覚えがある気がした。 同じようなものなど、これまで何度となく見た事があるからか? それとも、本当は知っているのだろうか? |