〜 夏 〜
夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ。蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一つ 二つなど、ほのかにうち光りて行くも をかし。…… 「2人して、まぁたトリップしてんの?」 訪れた客は開口一番、呆れ返ってこう言った。 「ったく、男と女が1つの部屋にいて、することじゃねぇだろうがよ」 「………いや、そう言われてもですねぇ」 と、天蓬は頭をかく。は苦笑して冷茶と席を勧めたが、本を閉じないところを見ると、読書を中断する気はないらしい。 「そういう貴方は、きっと今夜のように暑い夜でも、足しげく女性のところにかようのかしら?」 「つれないなぁ……。わざわざお前さん達のために、とっときのを持ってきたのに」 酒瓶をかざすと、の顔が、ぱぁっと輝いた。 「ああっ……。捲簾、捲簾っ、愛してるわ♪」 「………………おねーさん、おねーさん、ちょっとちょっと………」 ぱたぱたと手を振る捲簾を無視して、は嬉しそうに酒盃を用意する。 開け放った窓からは、涼しい風が入り込んでくる。既に日は落ちて久しく、暗い中庭にぽつりぽつりと、小さな灯火が舞うのを見付けて天蓬が言った。 「せっかくですから、庭で飲みませんか? 良い夜ですよ」 盃を片手に外に出ると、闇の中で、いくつもの淡い光が儚い軌跡を描いていた。 「まさかと思いますが、捲簾は女性の寝所に蛍を放したりしてないでしょうねぇ」 「……………へ?」 「あら天蓬。蛍を放つのは源氏の君であって、忍んでくる兵部卿の宮ではないわよ」 「いやいや、捲簾のことですから、自分で過剰演出くらいやりかねませんよ」 「あのねぇ……。俺が持ってきた酒飲んでるんだから、俺にわかる言葉で話してくんない?」 愚痴りだす捲簾に、2人は顔を見合わせて笑った。 「自分の養女の部屋に蛍を放って、御簾ごしに口説いている若者を煽る男の話があるんですよ」 「悪趣味なおっさんだなぁ……」 首をすくめる捲簾に、は吹き出した。 「捲簾もそうなるかもしれないわよ。その男は若い頃、ずいぶんたくさんの浮き名を流したの」 「げっ……」 くすくすと笑い続けるの黒髪の周囲を、蛍が、美しい細工物のように群れ飛んでいる。簪など、必要最低限しか揃えていないと言っていたが、今の彼女は、宝石をちりばめた冠をつけているより綺麗に見える。 「ああ、僕も蛍に煽られてしまいそうですね……」 天蓬の呟きを耳聡く聞きつけて、捲簾は、片眉を上げてにやりと笑った。 このまま飲み明かすのも楽しいが、今日は早めに帰って、明日朝一番に天蓬をからかってやろう……。 自分が「悪趣味なおっさん」と、間違いなく似ている事に気付かない、天界軍随一の暴れん坊は、今夜は、いたずらっ子のように楽しそうな目で、2人を見つめていた。 鳴く声も 聞こえぬ虫の 思ひだに 人の消つには 消ゆるものかは 声はせで 身をのみ焦がす 蛍こそ 言ふよりまさる 思ひなるらめ 〜 源氏物語 「蛍」 |