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「水晶塔? 何だそりゃ」

 その名を耳にして、まず捲簾大将が率直な疑問を口にした。
 同席している天蓬も、金蝉も、揃って首を傾げている。そんな男たちの様子に、も困ったように手を頬に当て、そっと首を横に振った。

「随分安直な名前だな。それにそんな名前、聞いた事も無ぇぞ」
「施設の名称なんてそんなものですよ。それより公主、それは確かな話なんですよね?」

 天蓬が、重ねて問う。がこくりと頷いた。



 彼らが四人が顔を付き合わせているのは、金蝉の執務室である。この部屋は今、悟空捜索の司令本部となっていた。
 飾り気のないシンプルな白い衣装の金蝉を中心に、濃紺の生地に銀の小花を散らせた上着に、ほんのり紫がかった白い裳着を合わせた――後宮ではもう少し大人しい柄の着物を着ていたが、ここに来る前にこんな外出着に着替えてきた――華やかな女装束姿のが傍に立ち、その反対側に、黒い軍服と白衣とが並んで立っている。傍目にはまるで統一感のない集団であるのだが、無論当人たちは全く気にしていない。今は、それどころではないからだ。
 捲簾と天蓬が早くから加わっていたために、この部屋には朝のうちからひっきりなしに、捲簾と天蓬の部下である軍人たちが出入りしているために、部屋の主は、怒らないながらも、些か機嫌を損ねていたそうである。その上、がここにやって来てからは、女官たちも多数加わるようになり、かなり騒々しくなっていた。それで金蝉の機嫌が更に悪くなったのは、最早言うまでもない。
 あまりの賑やかさに、観世音菩薩が多忙な職務の合間を縫って、先程、甥をからかいに来た程だ。
 もっとも、観音は観音で悟空を気にかけているらしく、幾ばくかの人員を割いて寄越してくれたりもした。が、去り際の「ますます父親っぷりが板についたな」という一言は、完全に余計だった。
 当然、金蝉はその台詞に腹を立て、悟空が戻って来たら、三日三晩飯抜きで部屋に閉じ込める、とまで言い出したのである。それは八つ当たりだろう、と誰もが思ったが、普段大人しい人物が切れると、何をしでかすか分からない。天蓬も、捲簾も、そしても、敢えて何も言わないことにした。
 そんな焦りと気まずさとが入り混じる空気の中、大の大人が顔を突きつけて過ごすこと暫し。に仕える女官の一人が、有力情報を持ち帰ってきた。
 そして、冒頭の捲簾の台詞へと繋がるのである。



「あのうんこ頭にとっ捕まってなかったと分かっただけでも、ありがたいこったな。
 で、その水晶塔っつーのは何なんだよ、一体」

 捜索隊が一端解散となり、それぞれの部下が部屋を辞した後に、捲簾がもう一度尋ねた。
 たまたま目が合ったが、「私も初めて聞いた名前なのよ」と肩を竦める。一人、椅子に腰掛けている金蝉は、むっつり黙ったままだった。
 誰も答えないことを確かめた後で、天蓬が、厳かに口を開く。
 つっと指先で持ち上げた眼鏡の縁が、鋭い輝きを放った。

「以前、何かの文献で読んだことがあるんですけど、この天界には、時空の歪みを封じ込めた場所があるそうです。
 いつ、誰が造ったのかまでは書かれていませんでしたが、空間そのものがねじれて不安定である為に、一般には、その存在そのものを伏せているそうですけど」
「おいおい、軍でも聞いたこと無ぇぞ、そんな話。
 やれ下界遠征だ妖怪討伐だと、頻繁に俺たちを駆り出してるくせに、肝心なことは秘密ってかぁ?」
「知りませんよそんなこと。文句なら、お偉方に直接言ってください。
 何しろ、天帝直轄になっているそうですからね。その本にもあまり詳しいことは書かれてなくて、実態は僕にもよく分からないんです。何せ、記述自体が説明不足と曖昧言葉のオンパレードで、如何にも上層部からの圧力かかってますーって文章だったもので。
 まあ、天帝のご息女たる公主の御前で、こんなこと言うのもアレなんですけど」

 言って天蓬は、如何にも意味ありげにを伺い見る。その意図を察し、がぷいっとそっぽを向いた。
 元より、天蓬とはあまり仲が良くない。天蓬は「天帝直系の皇族」というの釣り書きを疎んじているきらいがあるし、で、そのような色眼鏡で見られることに、強い不快感を抱いている。こういう些細な衝突は、日常茶飯事であった。
 同じ権力嫌いでも、捲簾は、持ち前のフェミニスト精神が働く故か、そこまであからさまな態度は取らないのだが――もし金蝉という共通の知人がいなければ、二人はきっと、話をするどころか、ろくに顔も合わせなかったに違いない。
 その金蝉は金蝉で、二人の間をとりなすなどという、おせっかいなことはしない性質だ。よってこういう場合、十中八九、捲簾が緩衝材の役割を果たすことになる。今日も、その例外ではなかった。
 何でこう、俺ばかり損するのかねぇ。小声でそうぼやいてから、捲簾は、もう一度相棒へと視線を向けた。

「その公主様がご存知ないっつってんだから、仕方ねぇだろ、天蓬。
 この際、何だっていい。とにかく、お前の知ってる限りのこと、ここで全部話してくれや」
「そうは言っても、僕も、それを読んだのは随分前ですし、そういう代物でしたから、あんまりよく覚えてないんですよ。
 どうしましょう。書名はちょっと思い出せないんですが、多分、僕の部屋の書棚にはあると思います。
 今から、探して持って来ましょうか?」
「……いや、いい。ンな事してたら、軽く三日三晩はかかりそーだし」

 天蓬の提案に、捲簾が至極嫌そうな顔をして首を横に振った。
 彼のあの部屋からたった一冊の本を探し出すのが、どれだけ難しくて骨の折れることか、この軍大将は身を持って知っている。故に、深く吐き出した紫煙の中にも、陰鬱なため息が入り混じっていた。盛大に吐き出した煙が、ぶわっと拡がって瞬く間に消える。
 そんな捲簾とは対照的に、金蝉は険しい表情を浮かべたまま、眉一つ動かさないでいた。
 この男が無愛想なのはいつものことだが、今は、本当に何を考えているのか全く分からない。まさか、今の話を聞いてなかった、ということはないだろうが。
 の訝る視線に気付いたか、金蝉が、目線だけをこちらに向けてきた。やはり何も言わないが、その眼が、じろじろ見るんじゃねぇ、と言っている。は小さく肩を竦めると、再び天蓬と捲簾の方へと視線を戻した。
 彼らは、横でこんな無言のやり取りがあったことなど気付かずに、二人でうんうん唸っていた。どうやら、件の場所へ部下の誰を連れて行くか、人選で悩んでいるらしい。
「天帝直轄の場所ってのも、厄介なんですよねぇ」と、天蓬が渋い顔で呟いた。

「あんまり大人数で動いては、事が表立ってしまいますからねぇ。後々面倒です。人選は慎重にしないと。
 竜王に見つかってお小言っていうのも嫌だし、ここでまた問題が起こってしまっては、悟空のためにも良くありません。ですから――」
「けどよぉ、今朝から、うちの部隊総出で探し回ってるんだぜ? それにこのお父さんも観音も、そこの公主様も、結構な人数使ってるしよ。平和ボケした爺ィどもはともかく、勘付いてる奴も一人か二人は居るって。
 今更、表立っても何も無ぇんじゃねぇの?」
「この場合、場所が問題なんですよ。下手をすれば、天帝への反逆罪にも問われかねません。
 僕たち、元から敵は多いですけど、そんな連中にわざわざ新たな攻撃材料をやるのも癪じゃないですか」
「っつーてもなぁ、こんな時に、ンな悠長なこと言ってられねぇだろ。
 お前さんの意見も分からんでもねぇが、のんびりしてる暇は無ぇんだぞ」
「だからこそ、こうして悩んでるんですよ。
 有能で、口もちゃんと堅くて、こういう極秘作戦の経験も多くて、もしもの時にも大丈夫そうなのは誰だろうと。
 迅速に事を運ぶなら、尚更、事前のプランニングが重要です。失敗があってはならないんですよ、絶対に」
「……まぁ、それはそうだが」
「でしょう? 最低でも、悟空に後々災いが降りかかるのだけは避けないと。
 叩かれ慣れてる僕らはともかく、あの子を、これ以上誹謗中傷の的にしたくないんですよ、僕は」

 後ろ頭をぼりぼりとかきむしりながら、天蓬が更に難しい顔をした。
「時空が歪んでるらしいってことも、ネックになってるんですよ」とぼやくその表情には、明らかな焦りの色が浮かんでいた。彼の煙草の消費スピードも、どんどん速くなっている。まさしくチェーンスモーク状態だ。
 それは捲簾も同じで、事後承諾で持ち込まれた灰皿には、既に吸殻の山が築かれ、部屋の空気も、天井付近が白く霞んでいる。匂いを嫌ったが窓を開けたが、その程度では換気も追いつかない程だ。
 そんな、煙と唸り声ばかりが満ちる空気を、強引に打ち払うかのように、

 がたり。

 大きな音を立てて、金蝉が椅子から立ち上がった。
 普段からは想像し難いことだけに、天蓬と捲簾、が、揃ってまじまじと彼を見る。が、本人は全く意に介さずに、無言で三人の前を横切り、出入り口の方へと向かった。
 が慌てて「どこに行くのよ!?」と声をかける。すると彼は、ぴたりとその場に足を停め、

「猿を迎えに行くに決まってんだろうが」

と、こちらに顔も向けぬまま言い切った。
 数秒遅れて、天蓬が、

「今の話、聞いてなかったんですか? 事前の用意無しに僕たちがそこに行くのは、あまりに危険なんですよ。
 天帝が直接管理する場所に、無断で侵入したとなれば――」
「ンな場所に勝手に入って行った馬鹿を、引き取りに行くだけだ。飼い主として、最低限の責任を取るだけに過ぎん。
 それ以外には何も無ぇんだ、問題があるか」
「そんな無茶な」

 咎めるその言葉にも、金蝉は全く聞く耳を持たない。
 困惑する彼の背後では、捲簾が呆れ顔で肩を竦め、首を左右に振っている。くゆらせる紫煙の合間から、「お父さんは大変だねぇ」と、皮肉混じりの呟きがもらされた。
 が、金蝉は、それら全てを黙殺して、一人で部屋を出て行ってしまった。甲高い靴音が、次第に遠ざかる。
 その音を聞きながら、天蓬が、はあっと大きなため息をついた。

「全く。そんな単純に事が済むなら、僕だってこんなに悩んだりしませんよ。
 どこかの直進馬鹿の猪大将じゃあるまいし、彼らしくもない」
「皮肉や愚痴は後にしろ。追うぞ」

 至極嫌そうな表情をしながら、捲簾が相棒の肩をぽんと叩いた。それを合図にするように、彼ら二人も部屋を出る。
 そんな男たちの後ろ姿を見送り、はそっと嘆息して――部屋の窓を閉め、彼らの後に続いた。







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