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捲簾と天蓬、が金蝉に追いついたのは、それからすぐの事だった。 「てめェら、ぞろぞろ付いて来るんじゃねぇよ」 「そんな事言って、金蝉、もしもの事があったら、貴方どうするんですか? 万が一の時を考えて、戦闘要員は準備すべきですよ」 「そーそー、心配すんなって。俺たち、いろいろお役立ちよん♪」 天蓬が嗜め、捲簾が茶化すように笑う。そんな軍人二人の様に、金蝉は殊更に渋い顔をした。が、反論する術が無かったのだろう、小さく舌打ちしただけで、また黙り込んでしまった。 気まずい沈黙を漂わせながら、男たちは、どんどん先に進んで行く。ヒールの甲高い音と、木製の下駄の乾いた音。頑丈そうな軍靴の重い音には、ちゃりちゃりと鎖の鳴らす音が絡んでいた。 三者三様の足音が、長い廊下に響き渡る。その喧しさの後にひっそりと、の、華の縫い取りを施した布靴の立てる音が追従する。 そんな一行の往く先々で、すれ違う者たちが皆進んで道を開けた。 恭しく頭を下げ、四人が通り過ぎるのを大人しく待つ顔が、どれも微妙に引き攣っているようにも見える。恐らくは、この奇妙な顔ぶれと、全員に共通して漂う焦燥感のせいだろう。強いて称するなら、触らぬ神に祟りなし、といったところか。 歩きながら、時々、思い出したように捲簾が何やらぼやき、天蓬がそれを嗜める。逆に、天蓬がぶつぶつ呟くのを、捲簾が横から茶々を入れる。二人がそういう他愛もないやり取りをする間も、金蝉はやはり無言のままだった。 そうして四人で歩いていると、突然、彼らが揃って足を止めた。 一体何事かと思い、が、ひょこっと男たちの合間から覗き見ると、そこには数人の従者を引き連れた李塔天の姿。 「ほほう、西方軍きっての指揮官二人と、観世音菩薩の甥子殿が、揃ってどちらにおいでかな」 唇の端を吊り上げただけの笑みは、まともに神経を逆撫でする。慇懃無礼な喋り口調も、舐めるように男三人の顔を見比べる目つきも。 天蓬が一歩前に進み出て、真っ向から立ち向かう。両者の間に一瞬、見えない火花が散った。 「すみませんが李塔天、今、取り込み中なんです。話なら後にして貰えませんか」 「ほう。何か事件でも起きたのかね? 話によっては、援軍を送っても構わないが」 「いえ、結構です。人手は十分足りてますので」 「遠慮なぞ要らぬよ、天蓬元帥。同じ天界軍に身を置く者同士、困った時にはお互い様ではないかね」 「生憎、貴方に助けを求める程、僕も落ちぶれちゃいませんよ。 それに先日も言いましたけど、貴方いつから、僕を助けてやるなんて言える立場になったんです?」 二人共表情はあくまで穏やかではあるが、会話にはひどく冷たい空気がある。隣で黙っている捲簾が、やれやれ、とばかりに肩を竦め、がこっそりとため息をついた。 が、そんな背後の様子などお構いなしで、両者の嫌味合戦はまだまだ続く。 「聞いた話では、貴殿らの隊は、今朝から大忙しだそうじゃないか。その上、そうして指揮官二人が揃って腰を上げたとなれば、何があったかと案じて当然というものだよ。 天帝の御世をお護りするのが我らの務め、もし何か事件があるというのなら――」 「うちの隊が大忙しなのは、日常茶飯事です。闘神軍と違って、うちは遠征だけが仕事の全てではありませんから」 「では、内務の者を貸そうかね? 少しは楽になろう」 「いえ、結構です。仕事を教える手間も惜しいですので。たとえ貴方が文官上がりでも、うちの事務仕事はキツいと思いますよ。半端な量じゃありませんから」 「いや、我が軍に属する文官たちも、武官に負けず劣らずの精鋭揃いだよ。何せ我らの元には、闘神太子がいるからな」 「お気持ちだけで結構ですよ。ええ、気持ちだけ一応頂いておきます。 悪いですけど、その闘神太子ですら手傷を負うような激戦に、無傷でのこのこ帰ってくるような人たちのいる隊には、僕らの仕事は任せかねます。兎角うちは忙しくて、ただ立ってるだけの人を放っておく余裕すらありませんから」 軍師対政治家の鍔迫り合いは、段々と長期戦の様相を呈しつつある。こんな時に、こんな所で無駄に時間を費やしている場合ではないのだが、相手がしつこく食いついて離れない。こちらに弱みがあるだけに、状況は些か不利であった。 金蝉が、いらいらしながらその様子を眺めている。取り敢えず大人しく付き合ってはいるが、そのうち、一人で行くとでも言い出しかねない様相だ。組んだ腕の上で、長い指がとんとんと苛立たしげに動いている。 このままでは埒があかない。そう考えたは、すっと男たちの前に出ると、李塔天と正対した。 「彼らは、わたくしの要請に従って動いています。何か不満がおありかしら?」 李塔天はここで初めて、の存在に気付いたらしい。余裕の笑みを浮かべていた目が、訝しげに細められた。 突然間に割って入られて、天蓬が、渋々ながらも脇に控える。捲簾が、無言で反対側に並び立った。 「そんな風にされては、花のようなかんばせが台無しですぞ」と、李塔天が世辞を言うが、は一切取り合わず、更に厳しい目をして相手を睨み上げる。 「貴方の無駄話に付き合う暇など、わたくしには有りません。さっさとそこをおどきなさい」 「僭越ながら申し上げますが、此れなる二人は軍の者。 お父上の許し無く軍を動かしたとなれば、公主、貴女とて、ただでは済まぬかと存じますが?」 「わたくしがどこで何をしようと、わたくしの勝手。貴方に意見される謂れはないわ。 出過ぎた口は差し控えなさい、李塔天!」 真正面から恫喝され、李塔天は、仕方なさそうに道を開けた。 遅まきながらの跪拝をし、たちが通るのを待つ。だが、四人がその前を過ぎようとした時に、ぼそりと、 「公主。貴女も、貴女のお父上も、我らによってそのお立場が護られている。 どうぞ、それをお忘れなきよう」 と言った。 天蓬と捲簾が、さっと表情を一変させる。が、は振り向きもせずに、 「天帝たるお父様が居られるからこそ、貴方たちの存在にも意味があるのでしょう。 貴方こそ、ひどい思い違いをしているのではなくて?」 と、静かに切り返した。 刃の上を渡るような緊張感が、両者の間に横たわる。だが、李塔天は黙ったまま、それきり何も言わなかった。 これ以上、こんな男を相手にする必要は無い。四人はさっさと、彼の前を通過する。 「さすが、耳が早いですね。今朝からのことを、もう知っていたとは……」 「こりゃマジで、急がなきゃなんねーな」 自然と、四人の歩調が速まった。 その後は邪魔らしい邪魔も入らず、四人は首尾よく、目的の場所に辿り着いた。 「――案外、大きな建物ですねぇ」 件の塔を下から見上げ、天蓬が半ば感心したように呟いた。 天界の宮殿から遠く離れた、西の果てにある森の奥。降り注ぐ陽光を受けてきらきらと輝く大きな五重の塔が、空に向かってそびえ立っている。 「水晶塔」というその名にふさわしく、屋根も、柱も、壁や扉や細部の装飾に至るまで、無色透明の水晶で造られている。もしも縮小出来たなら、部屋飾りに丁度良さそうだ。 北斗七星を刻んだ扉の前には、長槍を携えた門番が二人、左右に分かれて立っている。軍人のようだが、天蓬も捲簾も全く知らない顔だった。 ここは立ち入り禁止の場所である、一刻も早く立ち去るようにと警告する彼らを、が、先程と同じ要領で退ける。その様子に、捲簾が「俺たちの危惧は何だったのかねぇ」と、笑い混じりにぼやいた。 の下した命令に、門番たちが、躊躇いながらも扉に手をかける。 ぎぎぎいっと重厚な音を立て、水晶の扉が開かれた。 迷わず、四人は中に足を踏み入れる。 建物の内側も、外見と同じく、全てが水晶で造られていた。入ってすぐに大きな広間があり、正面には、奥へと続く道が真っ直ぐに伸びている。材料こそ贅沢だが、このような建物にありがちの、豪華な壁画や装飾品の類は一切見られない。 明かりらしい明かりも一つもないが、水晶自体が仄かに光っている。お陰で、視界はやたら明るい。懐中電灯を持参していた天蓬が、些か残念そうにそれを白衣のポケットにしまった。 「どうか、お気を付けて――」控えめな門番たちの声と共に、扉が再び閉じられる。と同時に、森の木々のざわめきや、風の気配なども断ち切られ、屋内は底の深い静謐に満たされた。 やがて、金蝉が無言で歩き出す。その後に、三人がぞろぞろと続いた。 「何っつーか、妙なトコだねぇ」 捲簾が、誰に言うともなくそう呟いた。 硬質な煌きを宿す水晶の世界は、見る角度によって光が虹のような色合いを帯び、幻想的なまでに美しい。が、自らの足音ばかりが響く静けさゆえに、言い様のない不気味さをも孕む。 太い柱の傍を七本分通り過ぎたところで、道は二つに分かれていた。 右の道も、左も、遥か先まで続いていて、先に何があるのか全く見えない。分岐路の上で暫し逡巡した後に、一行は、金蝉と捲簾、天蓬との二手に分かれることとなった。 「おい、俺が、何でこいつと一緒なんだ」 「仕方ないんですよ、金蝉。この人とご一緒させて、公主にもしもの事があったら、本人の首が飛ぶだけじゃ済まないんですから」 「そこまで信用されてねぇのかよ、俺は」 心底不服そうな金蝉の横で、危険人物と断言された軍大将が、これ以上無いという程に渋い顔をする。 だが天蓬は、「いざという時は頼みますよ」とだけ言い残して、をエスコートしながら、とっとと歩き出した。 |