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 ぼりぼりと後ろ頭をかきながら、天蓬は、はあっと大きなため息をついた。
 その所作がいちいちわざとらしく、の神経を逆撫でする。黙っているのも癪だからと、「私の命が聞けないの」と頭ごなしに言いつけると、彼は、一層渋い顔をして、あてつけがましくため息をついた。

「いいですか、公主。
 これはあくまで僕の思いつきであって、現時点では裏付けも何もありません。僕自身、確証を持てないままでいます。
 それでも、話せと仰ったのは貴女なんですからね。後で、事実に反する仮定だったと判明しても、文句は言わないで下さいよ。こうして、前もってお断りしてるんですから」
「………………」
「そもそも、僕たちがここに来たのは、この近くで目撃情報があったというだけで、周囲には他に子供が隠れられそうな場所が無いというだけの話です。他に手がかりや目撃情報が出た場所は、大抵、僕や捲簾の部下が一個一個しらみ潰しに探し回って、居ないのを確認してますから。もっと端的に言うと、消去法の結果残ったのがもうこの場所だけしかなかったからです。
 何せ誰も、悟空がここに入ったところは見ていない。ですから、ここに居ない可能性も――」
「前口上なんか要らないわ。早くおっしゃい」
「……はいはい。
 この水晶塔に悟空が居ると仮定しても、そのどこに居るのか、正確な地点は分かりませんが」

 ここで天蓬は一旦言葉を切って、五本目の煙草に火を点けた。
 あまりのヘビースモーカーぶりに、が露骨に顔をしかめる。ついでに、ぱたぱたと手で煙を追い払って、横で吸われるのが嫌だと主張してみた。
 が、天蓬はまるで気にせずに、白衣のポケットに空いた手を突っ込み、悠然と紫煙をくゆらせる。

「全く無根拠な考えで述べることも許してくださる、と仰るので言いますけどね。僕には、こう思えてならないんですよ。
 異端の場所が、異端と呼ばれる子供を引き寄せてしまったのではないか、と――」

 彼の述べる仮説は長く、総じて理屈っぽかった。
 要約すると、この塔内の時空が歪んでいるのは、(これはあくまで過去に読んだ文献に基づいて立てた仮説に過ぎない、と彼は再度強調した)、ここを管理する天帝もしくは重役級の神仙の神通力によって、常識だけでは計り知れない森羅万象の力を集約し、この場所を一種の異界として形作っているのではないか、ということだった。
 自分たちに仇なす危険性のあるものは、芽のうちに摘むのが天界の常。そのようなことが秘密裏に行われていても、ちっとも不思議なことではない。
 彼はその論を述べる際、いちいち力場がどうだの、空間と時間との相互関係だの、何とかの法則によって導き出される仮説だの、門外漢にはちんぷんかんぷんな言葉を濫用した上、それが何かと聞き返す暇さえ与えてくれない。お陰で、彼が何を言っているのか、にはあまりよく分からなかった。
 彼は、解釈不能な言葉の羅列に辟易したの前で、平然と、自論の最後を「全部、ただの僕の思いつきなんですけどね」と締め括った。

「こんな時でなければ、この仮説を実証してみたいんですけどねえ。残念です。
 ですが、今は悟空を探し出すのが最優先ですから」
「ええ。貴方のその説も、好きな者にとっては、それなりに面白くはあるんでしょうけど」

 が、些か嫌味めいた微笑で答える。
 軍師はわずかに顔をしかめ、ぼりぼりと後ろ頭をかきむしった。

「先に申し上げたはずですよ。何の根拠もない仮説です、と」
「おまけに、悟空を見つける手掛かりにもならないし」
「それも、前もってお断りしましたが」

 の非難めいた言い草が、やはり癇に障ったのだろう。彼はますます渋い顔をして押し黙る。
 それきり口をつぐんだ彼の背後で、また、小さな光が、一瞬だけきらめいた。
 だが天蓬は、全く気付かなかったようだ。が眉を顰めている横で、ぷかぷかと煙草をふかしている。
 ぼそりと、「僕だって確信の持てないことを喋るのは嫌なんですよ」とこぼした。

「でも、ですね。この僕の仮説も、机上の空論ばかりかといえば、そうでもないんですよ。これが」
「何ですって?」

 如何にも思わせぶりな軍師の発言に、が意味を図りかねて眉を寄せる。
 実は彼も、自分と同じく密かに、あの光を目撃したのだろうか? のそんな疑問を他所に、彼は、ずり下がった眼鏡を、つっと指で押し上げた。

「意見上申。先立って申し上げたとおり、この建物は、考えれば考える程おかしな所だらけなんですよ。
 申し上げたとおり、構造も不明でその材料も謎。照明がないのに明るいのも謎。どこもかしこも謎だらけです」
「…………」
「光源が無いことから察するに、建物内部の明るさは、壁や柱自体が発光しているのだと考えれば、取り敢えずは説明がつきます。
 ですが、そんな水晶が実在するなら、少しくらい噂になっても良さそうなものなのに――」

 段々と熱を帯びてきた長台詞に辟易したが、もういい、と手をかざした。
 天蓬が一瞬、不興もあらわな顔をする。ちらりとこちらを伺った目が、さっきは喋れと言ったくせに、と非難していた。
 確かにその通りではあるのだが、ここまでの長丁場など望んでいない。大体、内容の分からない説明など、聞いても無駄なのだ。薀蓄語りも大抵にして欲しい。
 が、彼は、つんとそっぽを向いたなどお構いなしで、更に自論を展開させる。

「この水晶が発見されたのは、この天界でしょうか、それとも下界でしょうか?
 そして、時空の歪みを封じ込めたといわれるこの場所に、こんなとんでもない手間を掛けてまで、こうして建築材として使われたのは何故に? 疑問は尽きません。
 公主、貴女が、美しいものや珍しいものが大変お好きで、古今問わず蒐集されるご趣味がお有りなことや、そのために下界の天帝使たちはしょっ中東奔西走させられて、特に北方使なんかは最近過労で胃痛を抱えているらしいことは、宮中の風聞に疎い僕でも知ってますけど、父君もそうだとは全く聞いたことがありませんし」
「……天蓬元帥、貴方、さり気なくひどいこと言ってくれるわね」

 意図的に口にされた言葉を聞きとがめ、が僅かに顔を引き攣らせた。が、天蓬は飄々とした薄笑いを浮かべたまま、悠然と煙草をくゆらせている。
 煙が、まともにこちらの顔にかかった。

「天蓬元帥。貴方、そんなに私が気に入らない?」
「正直に言わせて頂くと、少し前までは。でも、今は少々違います。
 僕は貴女を、とても危険な方だと捉えています。ある意味では、李塔天以上に」

 ふっと表情を改めた天蓬の背後で、また、あの不審な光が瞬いている。
 彼のその様子も、その光も、にとっては真意が捉えにくく。

「どういう意味よ?」
「今更言うも何ですが――公主、貴女は天帝のご息女で、居並ぶ公子公主の方々の中でも、天帝の一番のお気に入りな方です。
 あの李塔天を問答無用で引き下がらせたのも、貴女だからこそでしょう。ですが」
「…………」
「あくまで『もしも』の話ですが、もし貴女が、金蝉の元に降嫁なんてことになったら、彼も、悟空も、確実に天帝のものとなってしまう。ご承知のとおり、皇族の、特に女性の婚姻は、そのようなことのために為されるものですから。
 そうして得た悟空を、天界は恐らく――」
「――皆まで言わないでいいわ、天蓬元帥。私も、そこまで馬鹿じゃないから」

 続く言葉を聞きたくなくて、は強引に話を打ち切った。
 分かっている。自分の置かれた立場など、今更指摘など受けずとも。分かっていて、敢えて気付かぬ振りをしていたのに。
 沈む心を反映して、の表情が暗く翳る。彼から視線を逸らしたのは、ほぼ無意識でのことだった。

「……そんな顔なさらないで下さいよ、公主。これじゃ、僕、悪者みたいじゃないですか」

 それきり口をつぐんだの様に、天蓬が、がりがり頭をかきながらそうぼやいた。
 が、顔を上げぬままそうっと伺い見てみると、彼は、短くなった煙草を咥えたままで、子供のように口を尖らせている。腹芸が十八番の彼にしては、非常に珍しい表情だ。
 訝しむの視線に気付いて、彼はつっと視線を逸らし、ふうっと深く紫煙を吐いた。

「少なくとも悟空のことに関しては、いつもの気まぐれやお戯れではないようですね。
 不安がない訳ではないですが、お立場を利用して、後宮の美術や芸術に触れさせていることは、評価してもいいと思ってますよ」
「ええ。あの無趣味な養い親では、情操教育も蔑ろになりがちでしょ。観世音菩薩も、そういう方面にはとんとご関心がないご様子だし。
 あの男のように、何の楽しみもない大人になってしまったら、悟空が可哀相だわ」
「珍しく気が合いますね。僕も、同じ事を懸念してましたよ」

 二人が話す間にも、天蓬の煙草が吸い終わり、火が消されていた。
 続けて次の一本に火が点けられようとした直前、が横からそれを奪い取り、くしゃりとへし折る。一瞬むっとなった天蓬の手の中に、使われる機会をなくしたライターが取り残された。

「しかし、貴方が気に食わないのも事実です。
 今は害より益が大きいのでどうもしませんが、必要とあらば、僕は速やかに貴方を排除にかかりますので、どうぞそのおつもりで」
「せいぜい、気を付けておくわ。
 でもね、天蓬元帥。縁談なんかは、私だけではどうにもならないから、暇な時に、あの男にも釘を刺しておいて頂戴。うっかり是なんて言われたら、洒落にならないわ」
「覚えておきます」

 台詞だけなら、冷たい会話であるはずなのに、場の空気は妙に和んでいた。
 来てもいない降嫁の話など、今は大した問題ではあるまい。危ないのは危ないのだが、まだ笑い話にしてしまえる。
「さて、もう少し頑張りましょうか」天蓬のエスコートに従い、も再び歩き始めた。
 そんな時である。左手の壁にまた、小さな光が出現した。

「――!?」

 が、はっと振り返る。天蓬がつっと目を細める。今度は、彼にもしっかり見えたらしい。
 凝視する二人の目前で、壁の一部が、聞こえるか聞こえないかの大きさで、ちりちりと鳴っている
 何故、こんなに何度も現れては消え、また現れるのだろう。の内に、次第に怒りのようなものが湧き上がる。二人がじっと見詰めるその間も、光は、まるでそれ自体が独自の意思を持っているかのように、強く弱く輝き続けていた。
 弄ばれることに我慢がならなくなって、は、その光を掴んで捉えるべく、手を伸ばした。

「!? 駄目です、迂闊に触れてはっ……!」
「……え?」

 天蓬が血相を変えて叫ぶとほぼ同時に、の触れていた壁が、その指先辺りからすうっと解けて消えた。







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