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「本当に、子供の行動範囲って、大人が思うよりずっと広いのね」

 呆れ半分、感心半分といった口振りで、が言葉を継いだ。
 長く長く続く階段は、上も、下も、表面に無数の星屑をちりばめたかのように、きらきらときらめいている。が、ここまで、さんざ不思議な体験をさせられているせいで、綺麗だと誉める気には到底なれない。寧ろ、美しいからこそ余計に癇に障る。
 と、その時、はふと、ある事に気付いた。
 ここまで相当の距離を歩いて来ている筈なのに、金蝉も、自分も、肉体的な疲労は殆ど感じていない。ここでこうして休憩しているのも、単に、長すぎて終わりも見えない階段を登るのに、少々嫌気が差したせいだ。本当なら二人とも、とっくに体力が尽きていて当然だろうに。
 この空間は、一応は神である自分たちを翻弄するばかりでなく、身体的にも何らかの影響を与えているのかも知れない――そう思ったその途端、背筋に冷たいものが走った。
 その傍らでは金蝉が、渋々といった顔をしながら、ゆっくりと立ち上がる。

「行くぞ、さっさと立て」
「言われなくても立つわよ、ちゃんと」

 が先程と同じように、無断でその腕に腕を絡めた。
 無論、不安が増してきただなんてことは、口が裂けても彼には言わない。虚しい空威張りだと、自分で自分を嘲笑いながらも、表面上は、それまでどおりの態度を貫く。
 だが、何故か。手が差し伸べられこそしなかったものの、もう金蝉の方からは、不満が唱えられる事は無かった。
 諦めたか、こんな罵詈雑言の応酬に飽きたのだろうと、は勝手に納得した。



 そうして、長い長い螺旋階段をやっとの思いで登り切り、更に延々と続く無色透明の回廊を、些かうんざりしながら歩き続けていると、やがて二人の目の前を、閉ざされた分厚い扉が立ちはだかった。

「どうするの?」
「行くしかねぇだろ」

 少々投げ槍気味なの問い掛けに、金蝉も、至極嫌そうな顔をしながらそう返した。
 いかめしい神竜と雲の図案が刻まれた扉は、云うまでもなく水晶製。つややかに磨き上げられた表面が、まるで訪れる者を等しく拒むように、冷ややかな光沢を放っている。その高さも、背高の金蝉が見上げる程のものであり、圧倒的な威圧感を誇っていた。
 しかし、造りこそ大袈裟ではあるが、鍵らしきものは特に見当たらない。何らかの罠かと思い、その周辺も調べてみたが、特にそのような気配もない。見かけ倒しね、と、はこっそり呟いた。
 二人が力いっぱい押すと、重い扉は、ぎぎぃっと軋んだ音を立てながら、ゆっくりと外側に開いてゆく。

「…………!」

 扉を開けると、そこには薄闇の世界が拡がっていた。
 これまで通ってきた回廊とは全く違い、両脇の壁は、ごつごつとした岩肌のよう。同じく水晶で造り上げられているのに、受ける印象がまるで違う。斜めに突き出た角柱の先端や、ぽっかりと大きく開いた窪みなどが沢山あるせいで、まさしく異世界そのものである。柱の先や、窪んだ穴の奥底では、蛍のように小さな光が、ちらちらと妖しげに明滅していた。
 荒削りな壁とは正反対に、床はぺったりと平らな形に整えられている。その床全体が仄かに光っていて、ちょうど足元を照らす明かり代わりにはなっている。が、その光量が足りないのか、それともこれまでの経路が明る過ぎたのか、ただただ暗いとしか感じない。
 岩のような水晶の壁が、下から照らされて、薄闇の中に、ぼうっと浮き上がっているようにも見える。天井には、まるで墨を流したような深い闇が澱んでおり、どんな形をしているかも分からない。
 ここにも、誰かが居るような気配は無い。危険な物が潜んでいる様子も無さそうだ。が、それ故に、その空間には音が無く、静けさが不気味さを更に煽るよう。
 ごくりと喉を鳴らしたのは、果たしてどちらであったのか。それを確かめる余裕すら持てない。

「……どうするの?」

 恐る恐る、が尋ねた。
 金蝉は、何も言わない。黙ったまま、やがて意を決したかのように、扉の内側へと足を踏み入れた。
 その歩みが、彼の答えだった。仕方ない、と言わんばかりに、も続いて歩き出す。しゃらんと鳴った簪と、金蝉の立てる靴音とが、仄暗い空間に大きく響き渡った。
 そうして二人が扉をくぐり抜けた、その瞬間。

 ばたん。

 背後で、扉がひとりでに閉じた。
 驚いたが慌てて扉に手を掛けたが、押しても引いてもびくともしない。その様子に、金蝉がこめかみを押さえながら、眉間に深くしわを寄せた。

「……ざけんじゃねぇよ」

 忌々しげに吐き出された言葉が、薄闇に吸い込まれて儚く消える。
 ひんやりとした静謐が、暗がりと共に覆いかぶさってくる。が、「何だか嫌な感じがするわ」と、らしくもなく弱音をこぼした。
 しんと静まり返った空間に、立っているのは二人だけ。互いの姿も、朧な光に照らされているだけで、幽明な世界の中にふわりと浮かんでいるかのよう。心許なくて身が竦む。
 そして金蝉は、いつの間にか扉から視線を外し、遥か向こうを見つめていた。
 こちらに背を向けているために、その表情は見えないが、白い装束に包まれた広い背中と、輝く長い黄金の髪が、淡く光る床の明かりに照り映える。
 は無言でその背に近付いて、寄り添うように後を付いて歩いた。
 あちこちに飛び出た水晶の突柱に浮かんで消える小さな明かりは、夏の短い夜に現れて消える蛍のよう。気紛れに現れては消える光たちは、これまでの経緯とも重なって、不安ばかりをかきたてる。
 何故に、あの子はここに来たのだろう。頭の片隅に、そんな疑問がちらついた。
 その時である。の耳に、かすかな音が届いた。

「……ねえ。今、何か聞こえなかった?」

 薄暗いばかりの背後を振り返りながら、がその場に立ち止まった。
 扉のあった方ばかりを見つめ、一向に前に進もうとしないに、金蝉も「何も聞こえねぇよ」と返しながら、渋々同じく足を停める。
 そんな二人の見つめる先は、幽玄な薄闇の世界があるばかり。物音一つしない静謐が、却って心を乱れさせる。己の心音さえも、喧しい。
 今は、何も起きていないというのに。

「気のせいだったんじゃねぇのか」

 の方をちらりと見やって、金蝉がぼそりと呟いた。
 あからさまに馬鹿にしているようなその物言いに、が、ぴくりと眉を吊り上げる。「そんな筈ないわ、確かに――」と、が食ってかかろうとした、まさにその時、

「――!?」

 暗がりの向こうに、新たな光が現れた。
 柱や壁に瞬く朧な明かりとは違い、その光は、己が存在を誇示するかのように、燦然とした輝きを放っている。大きさも、筆先で描いた点の大きさから、あっという間に子供の頭くらいにまで膨れ上がった。
 瞠目した金蝉との鼻先をふらふらと漂いながら、その光の球は、突然、その内側に誰かの姿を映し出した。
 初めの内こそ、曖昧模糊としたものしか映らなかったが、時間が経つにつれ、結ぶ像がはっきりと輪郭を持つようになる。一番最初に判別のついた映像は、天蓬と捲簾の姿だった。
 何なんだ、これは。反射的に身を強張らせた二人に見せつけるかのように、光球は、水晶の回廊の途中で立ち往生する彼らの姿を、淡々と映し続ける。

『くそっ、何なんだよこの扉は。押しても引いてもびくともしねぇ』
『仕方ないですね。貴方のお株を奪うようですが、強行突破といきますか』

 彼らは、あの大きな神龍の扉の前で、悪戦苦闘しているようだった。抜き身の刀をぶら下げた捲簾の傍らで、天蓬も、一体何処に隠し持っていたのか、同様に抜刀している。
「あの扉、まさか!」が声を上げたとほぼ同時に、

 きいんっ!

 扉のあった方角から、硬く澄んだ音が響いた。
 もしや二人が? 吃驚した金蝉とが、急ぎそちらを振り返ったが、彼らがやって来るような気配はない。映像の中の男たちも、それぞれに刀を構えてはいたが、まだ動いていなかった。
 やはり、ただの思い過ごしか。二人がふっと気を抜いたその瞬間に、光球の中に映る彼らが、勢い良く扉に斬りかかった。
 きいんっ、と硬く澄んだ音がして、扉が刃を弾き返す。その音は、先程聞いたのと全く同じ音。

「…………え?」

 怪訝な表情を浮かべたの耳に、今度は、どんどんと激しく壁を叩くような音が届く。十数秒遅れて、幻影の中に映る彼らも、力いっぱいに扉を叩き始めた。
 これは一体どういう事だろう? その答えを求め、が傍らに目をやれば、金蝉も至極険しい顔をして、こちらをぎろりと睨み返す。

「ねえ金蝉、これってどういうこと?」
「俺に訊くんじゃねぇ」

 忌々しげに吐き捨てられた彼の声を合図にしたかのように、映像はそこでふつっと途切れ、光の球も虚空に散って消えた。
 念のために、その光が消えた付近の壁や床を調べてみたが、痕跡らしきものはおろか、特に変化も見受けられない。再び訪れた静けさが、思考を更に混乱させた。
 推理に行き詰まって、二人がそれぞれに眉を寄せる。首を傾げたの頭の上で、簪がまたしゃらりと鳴った。
 その時である。ぱちん、と何かが爆ぜたような音がして、二人の目の前に、また新たな光の球が現れた。

『いきなり何しやがる、この馬鹿が。離せ』
『ちょっと何よ、その言い草は。貴方こそ、一体何処から出て来たのよ!』

 ほわりと浮かぶ光の中に、無様に水晶の床に転げながら悪態を吐き合う自分たちの姿がある。数十分前に居たのと全く同じ場所で、同じ表情を浮かべながら。その後に続いた諍いの内容も、現実のそれと一字一句同じだった。
 これは、一体何なのだ? 金蝉も、も、ただただ驚きに目を瞠るばかりで、ろくに声を発することも出来ない。まさに自身が彫像になったかのように、その場に立ち尽くすばかりだった。

「………………」

 そんな二人を嘲笑うかのように、行く手を遮るかのように、光の球は見る間にその数を増し、それぞれに、様々な光景や出来事を映し始める。







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