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『何処から出たり入ったりしてるんですか、金蝉。
 何にもない所からそうして湧いて出て来るなんて、貴方、三次元における物理的法則を、そう簡単に無視しないで下さいよ。一体、何がどうなってるんです?』
『煩せぇ。俺が知りてぇよ』

 ふわふわと右手に浮かぶ光球の中では、天蓬が金蝉にぶちぶち文句を垂れていた。
 その向こうでは、捲簾が、と歩きながら喋っている。

『首尾よく目標を発見するまで、周囲の警戒を怠るべからず。少なくとも現時点では、俺にはこれしか言えねぇわ』
『随分慎重なのね。意外だわ』
『悪うござんしたね、肉体派の切り込み隊長で』

 右下では四人が入口の大広間に佇む様が、中央には金蝉が独り水晶の回廊を突き進む模様が、その上には天蓬と捲簾が背中合わせで抜刀する姿が、くっきりと映し出されている。そのどれもに音や声が伴っており、静かだった空間は、にわかに騒がしくなっていた。
 追い払おうとしても、光の球は、内に幻影を抱えたままするりと逃げてしまう。数も、消えるより現れる方が多くなっていたようで、気が付けば、辺りは随分明るくなっていた。
 その明るさは真昼の屋外よりも強くまぶしくて、ちらちらと移ろう光の残像が、瞼の裏に焼きつく程だ。
 それぞれから流れる音や声も、だんだん大きくなってくる。わんわんと鳴り響く音声が、立ち尽くす二人を嘲笑うかのように、四方八方から降り注ぐ。
 そして、

『あれ? ここ、どこだろ?』

 と、あふれる光と音の渦の中から、小さな子供の声がした。
 はっとが視線を向けると、左の下、床面すれすれに浮かぶ光の中に、悟空の姿が映っている。
 彼は透明無垢な水晶の広間の中央で、進むことも退くこともできず、右往左往しているようだった。幼い金色の瞳が不安げに揺れて、今にも泣き出しそうだ。

「やっぱりあの子、ここへ来たんだわ……! ねえ、金蝉っ」
「煩せぇ、いちいち言わなくていいっ」

 それきり言葉もない二人の戸惑いを他所に、光の球は、映る幻影は、ますますその数を増やしていく。
 よく見ると他にも、悟空の様子を映すものが、幾つも幾つも存在していた。水晶の世界の美しさにはしゃぐ姿、興味津々といった面持ちで回廊を歩く姿、階段の途中で膝を抱えて泣きべそをかく姿が、ほぼ同時進行で、克明に映し出されている。どことも知れぬ場所をさまよい歩き、弱々しげな声で保護者を呼ぶ姿は、見ているだけでも痛々しい。
「悟空っ!」の呼ぶ声に反応するかのように、二人の目の前に、すうっと光球の一つが進み出る。
 頼りなげにふらふらと宙に浮かぶ拳大の光の中で、悟空が、ごつごつとした水晶の岩壁の狭間に座り込み、声を出さずに泣いていた。仄かに光る床の上に、大粒の涙がぽたりぽたりと落ちている。
 彼が座っているのは、きっと自分たちが今立っているのと同じ場所に違いない。直感的にそう考えたは、周囲をぐるりと見回して、ありったけの大声で叫んだ。

「悟空っ! 何処に居るの、返事をして!」

 刹那。光が、一斉に震えた。
 それぞれから細い糸にも似た光の筋が伸び、互いに絡みもつれ合いながら、床を、壁を、天井を、蜘蛛の巣のようにびっしりと覆い尽くす。絡んだ糸と糸の結び目には、また新たな光の球が生まれ、またもや色鮮やかな映像が宿る。流れ出る音や声が、一層喧しくなった。
 次々とその数を増やしていく光の球の中に、幾つも幾つも映る幼子の笑い声が、内にこもりながらわんわんと響く。網状に張り巡らされた光の糸は銀にきらめき、まるで強固な檻のように二人を閉じ込める。試しに指を伸ばしてみれば、ばちり、と火花が散った。
 痛む指先をさすりながらが後じさると、金蝉の背中と背中がぶつかった。「気を付けろ」という叱責の声に、半ば呆然となっていた意識が、少しだけ現実の世界に還ってくる。

「な、何なのよ、これ。何でこんなものがっ……!」
「お前が大声出したせいじゃねぇのか」
「ちょっと、私のせいだって言うの!? 冗談じゃないわ、誰がこんなもの望んで――」
「俺だってそう思った覚えは無ぇよ。お前の煩せぇ口が塞がるなら、いくらでも願掛けするんだがな」
「それはこっちの台詞よ。全く、嫌な男ね!」

 いつもどおりの憎まれ口を叩き合って、少しだけ心が軽くなる。
 少し心のゆとりが出来たついでに、揺らめく幻影に改めて目を凝らしてみれば、一見てんでばらばらのようなそれぞれの光景に、多少は関連性があるらしいことが窺い知れる。
 無数に分岐する光の筋が、あるいは途中で合流し、あるいは全く別の道を辿りながら、また数多の場面を描き出している。それぞれに展開する事象と結末とが同時に具現化されたその様を目にし、ただただ圧倒されるばかり。
 その内の一つを見てみると、悟空に請われ、一緒に外出する金蝉の姿がある。そのすぐ隣には、拒んで部屋で執務を続ける彼の姿も存在していた。
 外出という選択をした光の道筋の先には、途中で天蓬、捲簾と行き会うという場面がある。そこからまた二つに分かれた道の片方では、悟空を中心に男たちのふざけ合う様が映り、もう片方では、悟空が作ったらしい花の冠が、黄金の髪の上にちょこんと載せられていた。
 それはまさに、「もしも」の数だけ分岐する運命。それは、可能性という名の選択肢と同じ数だけ分岐しながら、それぞれの結末に向かって突き進む物語。些細な出来事が後に大きな影響を与えることも、またその逆の事象も、同じものとして並んでいる。その様は、まさに巨大な曼荼羅のようだった。
 勿論、これを見てこう感じることに、何の根拠も裏付けも無い。けれど、そう思えてならないのだ。
 では、この無数に繰り広げられる物語の「結末」は? そんな疑問を浮かべながら光の道筋を辿っていけば――無数に分かれていたはずの光の筋は、天頂付近で一点に結束し、一際大きな光の球になっていた。
 そして。そこに映し出されている光景を目の当たりにし、は大きく息を呑む。

「金蝉、あれ!」
「…………!」

 頭上を指差したの叫びに、金蝉も同じ場所を振り仰ぐ。
 そこに映し出されていたのは、真っ赤に血塗られた玉座の間。一切の穢れが許されぬはずのない場所に、無残に切り刻まれた屍が多数横たわり、床を真っ赤に染めている。辛うじて生き延びたと思われる者たちも、皆一様に恐怖に顔を引きつらせていた。
 その凄惨な光景に二人が絶句したその時、光は、しゃらん、と音を立てて大きく弾ける。

 そして次の瞬間、二人は、真っ白い虚無の空間に投げ出されていた。
 それまで周囲を覆っていた光の網も、水晶の壁も、満ちていた物音や声も全て消え失せ、何もかもが、白一色に染め変わっていた。
 しろがねに輝く世界は、そこに何もないが故に、強き光の中にも、深い闇の底のようにも見える。はっきり意識しなければ、自分自身さえ融解してしまいそうだ。
 意識的に胆に力を込めつつ、改めて辺りを見回してみれば――小さな人影が、こちらに背を向けて佇んでいるのが分かった。
 後ろだけを細く伸ばした茶のざんばら髪に、大地をしっかと踏みしめる素足。この腕にすっぽり収まってしまいそうなその小さな背中には、確かに見覚えがある。
 暫し逡巡した後に、はそっと声を掛けた。

「……悟空?」

 だが、相手は微動だにしない。もう一度声を掛けたが、結果は同じであった。
 たまらずにが一歩近寄れば、彼のすぐ前の空間がゆらりと揺らめき――しぶいて床を濡らした血の赤が、色鮮やかに現れる。
 だくだくと流れ床に広がってゆく血溜まりの中心には、長い黄金の髪の人物が、こちらに背を向けて倒れ伏している。
 その身にまとう白い装束が、血を吸い上げ、じわじわと赤く染め変わろうとしていた。

「!?」

 息を呑んだをよそに、ぴくりとも動かぬその身体を、小さな子供が静かに見下ろしていた。
 血臭が、ここまで流れてくる。その腥さに吐き気さえ覚えた。驚愕と生理的嫌悪感とが同時に湧き上がり、から言葉を、思考能力を全て奪い取る。さあっと頭から血の気が引いていく感覚だけが、やけにはっきりと自覚できた。
 何故、辿る光の道筋の先にこんな場面が存在するのか。この場所で、何故こんなものを目の当たりにするのだろう? 天界では「死」は有り得ないはずなのに、何故。
 心底おぞましいものを見たという顔をして、は逃げ出すように二三歩後じさる。
 すると背中に、どしん、と何かがぶつかった。驚きで、びくっと身体が大きく戦慄き、息が止まる。
 恐る恐る振り返ってみれば、そこには、ひどく苦々しげな表情を浮かべた金蝉本人の姿がある。険しくなったその眼差しは、ではなく、床に横たわるもう一人の自分を睨みつけていた。
 そんな彼のその様を目にし、は更に狼狽する。

「金蝉が二人……?」
「知るか。俺に訊くなっつってんだろうがっ」

 喉の奥から絞り出したようなその声には、存分に怒りの響きが含まれていた。
 ざけんじゃねぇ。ぎりっと奥歯を噛み締めた音が、の元にも聞こえてくる。彼がこちらを見ていないその隙に、はこっそり深呼吸して、己を落ち着かせようと試みた。大きく息を吸って吐くその間も、激しくなった動悸が耳について煩い。体の震えが止まるまでにも、些か時間がかかった。
 その間もずっと、子供は、骸となっている金蝉を、身じろぎ一つせず見下ろしている。こちらに背を向けているので、その表情までは見えないが、その体からは冷ややかな空気が発せられていた。
 再び、重い沈黙が降る。後ろ向きで佇む子供は勿論、こちらで立ち尽くす大人二人も、ろくに口を利くことも出来ぬまま、その場に固まっている。倒れた男からだくだくと流れる血だけが、赤い染みを不気味に広げ続けていた。
 呼吸さえ憚られる程の絶対的な静謐の中、不意に、その子供が振り向いた。
 一切の表情が消えた一対の金の瞳が、こちらの姿を捉える。

「――!」

 その瞬間、二人は気付いた。
 振り返った子供――悟空の額に、金鈷が嵌められていないことに。







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