― 3 ― 『そいつにどんな力があろうが、剣は所詮ただの剣だろう。 ンなもんに振り回されて自分を見失うなんざ、本末転倒もいいところだな』 『…………』 『それに、どんな事情があろうが――その剣を持つと決めたのは、お前自身の意志だろうが。 それとも、ンな陳腐な言葉で自分を飾り立てて、悲劇のヒロインにでもなったつもりか』 『!』 袂から煙草を取り出して、適当に銜えて火を点けながら、三蔵は傲然とそう言い放つ。 その一言一言に、は本気で反発を覚え、思わず手を振り上げそうになった。 随分、勝手なことを言うと思った。ろくに何も知らないくせに、と怒鳴り返そうかとも思った。 が、しかし。が反撃に出るより先に、三蔵は更に言葉を続ける。 些かの異論も反論も一切聞き入れぬと、ついっと細めたその目で示して。深く吸い込んだ煙草の煙を、不機嫌そうに吐き出しながら。 『貴様がどう思っているかは知らんが、生きることにいちいち「意味」なんて有ってたまるか。 てめェ自身のために生きて、てめェ自身のためだけに死ぬ。それで充分だろう』 『………………』 『俺はお前のようにはならん。目的を果たしたその後でも、俺は俺自身のためだけに生きる。 ――邪魔する奴は、容赦なくぶち殺す。ただ、それだけだ』 沈みゆく夕陽の僅かな光を受けて、戴いた金糸の髪が更に鮮やかに煌いていた。 その輝きはさながら、この夕闇を照らす後光のようで。神々しいまでに眩しく美しく見えて。 こちらを見据える紫暗の瞳と相俟って、この身を刺し貫く程に痛いのに。 それでも、何故か逃げ出すことも、目を逸らすことも出来なくて――はじっと息を詰めたまま、その姿にじっと見入っていた。 思わず泣き出したくなるのを、唇を噛み締めてじっと耐えて。ぎゅっと握り締めたその拳を、振り上げることすらも完全に忘れて。 『俺は嘘はつかん。例え何年かかろうと、絶対にそれを証明してやる。 ……もし、お前に少しでも意地が残ってるんなら、生き延びてそれを見届けてみるんだな』 そう言い切ると三蔵は、燻らせていた煙草を途中でぽいと投げ捨てて、無造作に足で踏み消した。 そして。が再度口を開くのも待たずに、くるりと踵を返してその場から立ち去る。 どんな苦悩も戸惑いも、結局はただの泣き言に過ぎないと。すっぱりとその背で切り捨てるかの如く。 去り際に三蔵が、一瞬だけ覗かせたその瞳の内側には――苛立ちや怒りというよりは、見えない「何か」に挑むような。そんな、底知れぬ「強さ」が存在していた。 ――だが、それは。他人に対する以上に自身を厳しく戒めて傷つける、鋭い刃のようにも見えた。 翌朝、三蔵はまるで何事もなかったかのように、長安へと戻って行った。 勿論次に会うための約束も、何一つ言葉を交わすこともなく。それどころか、偶然すれ違ったその時にも、互いに視線を合わせることすらしなかった。 もっとも。前日のことを考えれば、それも当然のことではあったけれど。 その後、もすぐに街を出て――特に行く当ても目的もないまま、適当に各地を放浪していた。 あの時に見た三蔵のあの眼を、去り際に見たあの背中を、心の何処かで引きずりながら。 「――でも、不思議なもんね。貴方とまた、こうして話が出来るなんて」 が何気なく呟いた一言に。三蔵が目線を合わせぬまま、ふん、と鼻先だけで返事を返す。 そして。ふうっ、と紫煙を吐き出すと、それまでと全く変わらぬ調子で、 「貴様が、よく生きていたもんだな」 突っ放したようなその物言いに、が思わずむっとする。 が、ここまで言われっぱなしでは、何となく自分の気が収まらない。そう思い直した は、自身のグラスに口を付けつつ、微笑みと共にこう切り返した。 「そう云う貴方こそ、よく今まで生きてこれたものだわ。 噂でいろいろ聞いてるわよ。さすがは玄奘三蔵法師様、悪評も悪運の強さも桁外れね」 「――余計なお世話だ」 のその言葉に、今度は三蔵が気を悪くしたようである。 眉間に深い縦皺を刻むと、その紫暗の瞳に更に険しい色を加えて、ぎろり、とを睨 みつけた。が、は至って涼しい顔をして、呑気に茶を喫している。 暫し、不自然な沈黙が場を占めた後に。三蔵が小さく舌打ちをして、「可愛げのない女だな」と、心底憎らしげな呟きを漏らした。 そんな二人のそのやり取りは、世間では至ってありがちな男女の会話そのもので。あまりにありふれた光景なだけに、もしも二人の人柄を知る者が居合わせたなら、却って一種の違和感を覚えたことだろう。 ――もしここにあの三人が居たら、どんな顔をしたかしら? ふとの胸の内に、そんな素朴な疑問が浮かんだ。 が、今ここに居るのは三蔵と自身と、あとはカウンターの中で黙々と己の仕事に勤しむ店主だけで。三蔵の旅の同行者であるあの三人は、もうとっくにそれぞれの部屋で休んでいる。 しかも今夜は、四人全員が個室に泊まっているらしい。勿論この宿にも二人部屋は存在するし、その気になれば全員が寝泊まり出来るだけの大部屋も取れた筈だった。 否。ただの観光旅行ならいざ知らず、常に敵襲の危険に晒されている彼らにとっては、寧ろその方が何かと都合が良い筈である。 そんな意味で考えるなら。彼ら四人の行動は、特に部屋を決めた張本人である三蔵の判断は、にとっては不可解極まりないものであった。 尤も。彼らが一体何を考え、どのような行動を取ろうとも。部外者であるにとっては、別にどうでも良いことなのだが。 「……おい。お前、何を考えてやがる」 「別に。私が何を考えていようと、貴方には関係ないでしょう」 こちらの沈黙を訝しむ三蔵の追求を、がぴしゃりと跳ね除けた。 その反応に、一瞬三蔵の眉がぴくりと吊り上がり、再び眼差しが険しくなる。が、は些かも怯むこともなく、即座にこう言葉を続けた。 「悪いけど私、他人にいちいち干渉されるのは好きじゃないのよ。 例えその相手が、……三蔵、貴方であっても、ね」 「知るか。元はと云えば、勝手にぼんやりしている貴様が悪いんだろうが」 「それこそ、余計なお世話よ。気に入らないなら、最初から何も言わなきゃいいじゃない」 「――この俺に向かってンな口を聞くとは、いい度胸だな、貴様」 じゃきっ。 三蔵の手にあった筈のグラスが、いつの間にか銃に換わっていた。 その銃口は勿論、のこめかみにぴたりと向けられている。二人が隣り合って座っているだけに、もしも引き金が引かれようものなら、如何にが腕の立つ剣士であっても、まず外れることはないだろう。 の左耳に光る金のピアス――魔剣『千尋(せんじん)』の加護の力をもってしても。至近距離から放たれる銃弾までは防御出来ない。 勿論、銃口を向ける三蔵も、向けられているも、その事実にはとっくに気付いている。 既に撃鉄を上げられた銃を間に挟んで、二人は暫しそのまま見詰め合った。 ――当然ながら。互いに向ける眼差しには、世の男女が持ち合わせるような、甘く艶めいた輝きは微塵もない。 「――いいわよ。撃ちたいんなら、さっさと撃てば?」 そんな、不穏な沈黙の中で。先に口火を切ったのは、の方だった。 |