最遊記の特定キャラクターに対する勝手な考察と見解についての論文

文責:M(悟空ページ担当)
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「悟浄 脱へたれ論」
執筆:wwr@悟浄・捲簾ページ担当

「作品の根幹を担う「玄奘三蔵」「金蝉童子」二名についての私的考察」
執筆:彩都@三蔵・金蝉ページ担当
「こうして私はドリ書きとなった」
執筆:眠林@八戒・天蓬ページ担当
「傍観者による最遊記の世界観と臥待月について」
執筆:波水@Confusedページ担当

 注意:このページに記されている全ての文章は、僕ことMによる。
    最遊記に存在する人々を、勝手に批評したり解釈したりする論文。
    略して「きゃら論」です。






 そにょ1:ほんのう

 まず、最初に言っておかなくてはならない事があります。
 それは、僕の小説の書き方は全てが「自動書記状態である」と言う事。
 加えて「主人公症候群」の可能性が高いことを先に記しておきます。


 あの4人の中で誰が一番好きかと言えば、紛れもなく「小猿」と答えます。

 なぜなら、彼は 「馬鹿」 だからです。
 物語のたいていの主人公は推測7割以上で「馬鹿」なのですが、僕の場合は顔なんかも無論の事ですが。やはり性格が「馬鹿」である事につきます。
 当然の事ですが、単なる「悪ガキ」の場合は排除されます。それなら三蔵相手にからかってる方がよほど楽しいでしょう(いや、彼も「子供」だと認識してますがね)
 同じ「馬鹿」や「子供」でも、やはり差はあります。
 それは「本能」です。
 馬鹿な奴と言うのは往々にして何も考えていないと言われるのですが、それは一部違う解釈を僕は持っています。つまり、彼ら(もしくは彼女ら)は「考えるより先に体が動いている」と言う事です。

 考えるより先に体が動く。
 それがどう言う事なのか考えた事が、果たして皆さんにはあるだろうか?
 結果がどうあれ、恐らく6割以上の確立で彼らは「その時に一番良い」だろうと思われる行動をしてしまったのだろうと推測している。これは異論や反論などあるかも知れないが、僕は勝手にそう解釈している。
 それが必要だからとか、それ以外に道がなかったとか、そう言う考えは後から幾らでもつける事が出来るし。加えて、理由と言うのは後から付いてくるものだと言う理論が前提についてくるからである。
 そして、人(人じゃないものであろうと)は何も考えることが出来なくなった状態で誰かの何かの不幸を願ったりはしない。そんな風に「成長」などするはずがないと信じていたい。



 そにょ2:そんごくう

 さて、皆さんは小猿の名前をご存知だろうか?
 もちろん知っているだろう「孫悟空」という名前だ。一体いつ、誰がつけたのか最遊記では外伝で描かれているが。やはり誰が名づけたのか僕の記憶が正しければ記されていない。
 そして、皆さんは「孫悟空」と言えば誰を連想するだろうか?
 別に小猿やチビ猿と河童にからかわれている愛すべき彼でもいいし、どこぞの物まね芸人でもよろしい。アニメでもデフォルメチックに描かれていたが、それは個人の自由だと思っている。
 僕の場合「まちゃあき」である。
 恐らく、年齢がばれてしまうと困る様な人々と若くても一部の人々は知っているだろう(衛星放送でやっていたから)と思われるが、かつて日本テレビで放映されていた実写ドラマ版の孫悟空はまちゃあきである。
 ちなみに、初登場は嵐の中。大岩を真っ二つに中から割って現れたと言う、なかなかインパクトの強い場面だったりした。あれはもう15年以上覚えてる気がするので、あと15年くらいは平気で覚えていたいものである(希望系)

 続いて、最遊記ではどうだか知らないが。
 大体の他の物語での悟空は、乱暴者で手がつけられなくて、気分屋で雲を乗り回して、大食漢でおまけに割りと大酒のみと書かれていたような気がする。一部拡大解釈や誤解が含まれているだろう事は資料がまったくないのでお許しいただきたい。調べる気がないのだろうと言われたら否定しないが。
 あげくの果てに、孫悟空と言う人物は雲に乗り天界へあがり、大暴れをし、神々が食すと言う桃(万桃)を口にしている。一部の物語では、これを口にしたために悟空には神々並の寿命が与えられてしまったと言う事もいわれていたような気がするのだが、ここにはちょこっとおかしな事がある。
 悟空は人ではない。だからといって、厳密に言うと妖怪でもない。
 恐らく、大地に流れる気の吹き溜まりの中で固体となって凝縮して生まれたのが孫悟空と言う存在ではないかと思われる。悪くすれば、悟空はこの「地球」が存続する限り死なないかも知れないのだ。なぜなら、悟空は切り離された存在ではなく地球につながる事が出来る存在なのかも知れないからである。
 いかに天で大暴れをしたとは言っても、五行山で500年の封印をされるほどのことだろうか?
 逆を言えば、なぜ「封印」に留まったのだろうか?
 その答えは定かではないか。未来永劫でないかも知れないが、少なくとも「斉天大聖」なる称号を悟空が得ている事だけは事実である。

 確かに、どの物語の孫悟空でもムードメーカーだったり戦力的な描かれ方をしているのは確かなのだが。それでも共通している部分がある事を、僕はここで記しておきたい。
 それは、「孫悟空は決して何も知らない馬鹿なのではないのだ」と言う事である。
 彼は「孤独」も「悲しみ」も「憎しみ」も「苦しみ」も「絶望」すら知っているだろう。それを承知の上で「笑顔」である事がどれだけの労力を必要とするのか、少なくとも片鱗くらいは僕にだってわからない訳ではない。
 それが小猿の優しさとなって無意識に現れてしまうことを「子供っぽい」と表現する人があるのならば、「大人とは何なのか?」と問い掛ける以外に無いのかもしれない。



 そにょ3:けつろん

 僕はあの4人で一番悟空を好ましく思っている事は、確かである。
 ただし、一つ付け加えるとすれば。別に他のメンツが嫌いだと言うわけではない。
 何にしても、僕は悟空だけではなく。他のキャラについてですら本来は批判だの推論だのをする権限は一切持ち合わせていないのだ、それ故に意味は全く無いのではなかろうか? などと思っていたりする。
 と、言うのもだ。
 前回我らが委員長にお会いした時にも言ったのだが……。

「原作半分くらい、アニメ半分、他ほとんど見ていないんだから、はまってると言ってはいけないと思う」

 要するに、基本設定すら全部入っていない様な奴が。
 一体、何をどうこういえるだろうか?
 ただし、「書け」と言われてるので書いてはいるものの。それが事実目にした人々にどの様な影響を与えているのか、目下興味深いとは言えるものの。かと言って、それを無理に聞き出すことは正直やめておいた方が良いのだろうと思っている。
 一応のところ、現時点において無理に結論を出すとすれば。これしかないだろう。

「小猿が馬鹿であり続ける限り、僕は小猿が好きだなあ」






 意味不明のまま完
(2002.9.13 掲載)
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「作品の根幹を担う「玄奘三蔵」「金蝉童子」二名についての私的考察」
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「こうして私はドリ書きとなった」
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